「光明皇后と福祉の話」
「なぜ人を助けるのか」
【福祉って何?】
昨今の流行病(コロナウイルス)により、外出や他者との接触が制限されました。これによって、孤独感を感じ、うつ病になる方や、生活環境が劇的に変化し、経営不振におちいり、収入が激減したことで、公的な支援がなければ生活できないほどに困窮(こんきゅう)する方が増えました。このことから、「福祉」のあり方を見直すべきだという意見がメディアなどで取り上げられています。
そもそも「福祉(ふくし)」という語句の漢字について調べてみると、「福」は、幸いであるさま、たすける。「祉」は、福、めぐみ、さいわい。を意味し、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉として辞書類では説明されます。
また、「福祉」の語句は、助けを必要としている人々に対する社会的援助(サービス)の提供を指す言葉としてつかわれることもあります。例えば、助けが必要な、高齢者、障がい者、生活困難者などのお宅に、福祉士が訪ねて生活を助けること、タクシーなどの公共の乗り物が割引されるように公的な配慮が行われることが挙げられます。
「福祉サービス向上」「福祉支援の充実」などと銘(めい)打ち、福祉による援助を広げることで「福祉」の語句がもつ「しあわせ」や「ゆたかさ」につながるのです。そのため、「福祉」の見直しを願う方もいるのです。しかし、税金の問題や政治内での意見の不一致などを理由に解決できていない問題も残されています。
本日は、日本仏教における福祉事業の一例として、「光明(こうみょう)皇后(こうごう)」の福祉事業についてお話し、流行病によって生じた生活問題をかかえる方々に対して、どのように向き合えばよいかを考えてみたいと思います。
【光明皇后の福祉事業】
「光明(こうみょう)皇后(こうごう)」(701- 760年)は聖(しょう)武(む)天皇(てんのう)の妻で、聖武天皇は奈良の大仏を建てたことで有名な人物です。日本の正式な歴史書である『続日本(しょくにほん)紀(ぎ)』によると、皇后は山階寺(やましなでら)(奈良の興福寺(こうふくじ))に「施(せ)薬院(やくいん)」と「悲(ひ)田院(でんいん)」を建てたことが記されています。
施薬院と悲田院は光明皇后の私的な施設と考えられており、私財をもとにつくられました。施薬院は薬の調合と提供、病人の治療を行う施設、悲田院は助けを必要とする貧しい者や孤児を援助するための施設です。つまり、施薬院は薬局や病院、悲田院は孤児や貧窮者(ひんきゅうしゃ)を支援する福祉施設にあたります。
寛(かん)弘(こう)四年(1007)に大阪の四天王寺金堂から発見された『四(し)天王寺(てんのうじ)御朱印(ごしゅいん)縁起(えんぎ)』によると、「聖徳太子(しょうとくたいし)」が四天王寺に施薬院と悲田院を設置したことが見られ、皇后の施役院と悲田院の先例とされていますが、これに関しては賛否あって史実は不明です。しかし、皇后が施薬院と悲田院を建てたことは正式な歴史書に記されているので、日本の正式な歴史書に見られる福祉事業の最古例が皇后によるものであることは確かです。
【光明皇后と「福田」】
では、どのような人物として光明皇后は見られていたのでしょうか。これについて『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』に見られる皇后の伝説を参考に考えてみましょう。
皇后は施薬院にて「千人の垢(あか)を洗い落とす」という願いをおこされました。そこで皇后はその通りに人々を世話していたところ、最後の千人目に重症のらい病(ハンセン病)患者が現れました。その患者は皇后に膿(うみ)を口で吸い出すように求め、彼女がその通りにすると、患者は正体を現し、阿あしゅく如来(にょらい)という仏になったと記されています。
この伝説が史実を描いているかは不明ですが、皇后が病人に対して慈悲(じひ)深(ぶか)く、決めたことをしっかりと実践(じっせん)する芯の強い人物であると思われていたことが伺えます。また、この伝説に「阿しゅく如来」が登場するところから、仏教と皇后との関係性が伺えます。
他者を敬い、施しを行うことで、多くの福徳(幸福と豊かさ)が生じます。福徳(ふくとく)が生じたことで、悟(さと)りを開くための功徳(くどく)を得られます。このことから、仏教では自分または他者を「福の稲(いね)がよく稔(みの)る田んぼ」にたとえ「福田(ふくでん)」と呼びました。施薬院と悲田院の名称はこの「福田」から来ているとされていますので、皇后が「福田」を意識していたのは確かでしょう。
「福田」について光明皇后の業績を例に説明すると、
(1)皇后は病人や貧しい人を援助しました。→他者という「福田」に種を植える。
(2)助けられた人々は皇后に感謝し、「何かしてあげたい」と思う。→「福田」に福の稲が稔る。
(3)助けられた人々は皇后を手助けし、皇后の幸せにつながる。→「福田」の稲を収穫。
(4)皇后は他者のために正しいことをすることで、本当の幸せとは何かを悟るきっかけになる。→自分もまた「福田」であることに気づく。
というように考えられます。このことから、皇后は病人や貧困者たちがあわれだと思い、手を差し伸べたわけではなく、彼らを助けることによって、自分の幸せにもつながることを知っていて福祉事業を行ったと言えるでしょう。ならば、皇后が世話した千人目の病人が阿?如来になった伝説は、皇后が阿?如来の功徳を得た瞬間と言えるのではないでしょうか。
【おわりに】
以上のように、光明皇后の福祉事業をもとに仏教の「福田」という考えについて見てきました。
今回のお話を踏まえて、流行病によって生じた生活問題をかかえる方々に対して、どのように向き合えばよいかを考えると、「助け合い」によって「福田」を作ることが重要だと私は考えます。
困っている方を助けることによって、助けられた方は感謝します。やがて、助けられた方に余裕が出来たら、今後はその方が次の方を助けようとします。このように「助け合い」の輪を広げることがより多くの方が助かる方法ではないでしょうか。
全国の方がこの方法で容易に救われるとは考えられませんが、「助け合い」の輪を起こすことで身近な方だけでも幸せにできます。そして、自身が困ったときに助けてくれる「福田」となる人が増えます。このように、助けを必要とする方に手を差し伸べ「福田」の種をまいておくことによって、自分の今後の幸せ、周囲の幸せにつながるのではないでしょうか。
皆様も「声をかける」「話を聞いてあげる」といったことからで結構です。「福田」作りを始めてみてはいかがでしょうか。
「なぜ人を助けるのか」
【福祉って何?】
昨今の流行病(コロナウイルス)により、外出や他者との接触が制限されました。これによって、孤独感を感じ、うつ病になる方や、生活環境が劇的に変化し、経営不振におちいり、収入が激減したことで、公的な支援がなければ生活できないほどに困窮(こんきゅう)する方が増えました。このことから、「福祉」のあり方を見直すべきだという意見がメディアなどで取り上げられています。
そもそも「福祉(ふくし)」という語句の漢字について調べてみると、「福」は、幸いであるさま、たすける。「祉」は、福、めぐみ、さいわい。を意味し、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉として辞書類では説明されます。
また、「福祉」の語句は、助けを必要としている人々に対する社会的援助(サービス)の提供を指す言葉としてつかわれることもあります。例えば、助けが必要な、高齢者、障がい者、生活困難者などのお宅に、福祉士が訪ねて生活を助けること、タクシーなどの公共の乗り物が割引されるように公的な配慮が行われることが挙げられます。
「福祉サービス向上」「福祉支援の充実」などと銘(めい)打ち、福祉による援助を広げることで「福祉」の語句がもつ「しあわせ」や「ゆたかさ」につながるのです。そのため、「福祉」の見直しを願う方もいるのです。しかし、税金の問題や政治内での意見の不一致などを理由に解決できていない問題も残されています。
本日は、日本仏教における福祉事業の一例として、「光明(こうみょう)皇后(こうごう)」の福祉事業についてお話し、流行病によって生じた生活問題をかかえる方々に対して、どのように向き合えばよいかを考えてみたいと思います。
【光明皇后の福祉事業】
「光明(こうみょう)皇后(こうごう)」(701- 760年)は聖(しょう)武(む)天皇(てんのう)の妻で、聖武天皇は奈良の大仏を建てたことで有名な人物です。日本の正式な歴史書である『続日本(しょくにほん)紀(ぎ)』によると、皇后は山階寺(やましなでら)(奈良の興福寺(こうふくじ))に「施(せ)薬院(やくいん)」と「悲(ひ)田院(でんいん)」を建てたことが記されています。
施薬院と悲田院は光明皇后の私的な施設と考えられており、私財をもとにつくられました。施薬院は薬の調合と提供、病人の治療を行う施設、悲田院は助けを必要とする貧しい者や孤児を援助するための施設です。つまり、施薬院は薬局や病院、悲田院は孤児や貧窮者(ひんきゅうしゃ)を支援する福祉施設にあたります。
寛(かん)弘(こう)四年(1007)に大阪の四天王寺金堂から発見された『四(し)天王寺(てんのうじ)御朱印(ごしゅいん)縁起(えんぎ)』によると、「聖徳太子(しょうとくたいし)」が四天王寺に施薬院と悲田院を設置したことが見られ、皇后の施役院と悲田院の先例とされていますが、これに関しては賛否あって史実は不明です。しかし、皇后が施薬院と悲田院を建てたことは正式な歴史書に記されているので、日本の正式な歴史書に見られる福祉事業の最古例が皇后によるものであることは確かです。
【光明皇后と「福田」】
では、どのような人物として光明皇后は見られていたのでしょうか。これについて『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』に見られる皇后の伝説を参考に考えてみましょう。
皇后は施薬院にて「千人の垢(あか)を洗い落とす」という願いをおこされました。そこで皇后はその通りに人々を世話していたところ、最後の千人目に重症のらい病(ハンセン病)患者が現れました。その患者は皇后に膿(うみ)を口で吸い出すように求め、彼女がその通りにすると、患者は正体を現し、阿あしゅく如来(にょらい)という仏になったと記されています。
この伝説が史実を描いているかは不明ですが、皇后が病人に対して慈悲(じひ)深(ぶか)く、決めたことをしっかりと実践(じっせん)する芯の強い人物であると思われていたことが伺えます。また、この伝説に「阿しゅく如来」が登場するところから、仏教と皇后との関係性が伺えます。
他者を敬い、施しを行うことで、多くの福徳(幸福と豊かさ)が生じます。福徳(ふくとく)が生じたことで、悟(さと)りを開くための功徳(くどく)を得られます。このことから、仏教では自分または他者を「福の稲(いね)がよく稔(みの)る田んぼ」にたとえ「福田(ふくでん)」と呼びました。施薬院と悲田院の名称はこの「福田」から来ているとされていますので、皇后が「福田」を意識していたのは確かでしょう。
「福田」について光明皇后の業績を例に説明すると、
(1)皇后は病人や貧しい人を援助しました。→他者という「福田」に種を植える。
(2)助けられた人々は皇后に感謝し、「何かしてあげたい」と思う。→「福田」に福の稲が稔る。
(3)助けられた人々は皇后を手助けし、皇后の幸せにつながる。→「福田」の稲を収穫。
(4)皇后は他者のために正しいことをすることで、本当の幸せとは何かを悟るきっかけになる。→自分もまた「福田」であることに気づく。
というように考えられます。このことから、皇后は病人や貧困者たちがあわれだと思い、手を差し伸べたわけではなく、彼らを助けることによって、自分の幸せにもつながることを知っていて福祉事業を行ったと言えるでしょう。ならば、皇后が世話した千人目の病人が阿?如来になった伝説は、皇后が阿?如来の功徳を得た瞬間と言えるのではないでしょうか。
【おわりに】
以上のように、光明皇后の福祉事業をもとに仏教の「福田」という考えについて見てきました。
今回のお話を踏まえて、流行病によって生じた生活問題をかかえる方々に対して、どのように向き合えばよいかを考えると、「助け合い」によって「福田」を作ることが重要だと私は考えます。
困っている方を助けることによって、助けられた方は感謝します。やがて、助けられた方に余裕が出来たら、今後はその方が次の方を助けようとします。このように「助け合い」の輪を広げることがより多くの方が助かる方法ではないでしょうか。
全国の方がこの方法で容易に救われるとは考えられませんが、「助け合い」の輪を起こすことで身近な方だけでも幸せにできます。そして、自身が困ったときに助けてくれる「福田」となる人が増えます。このように、助けを必要とする方に手を差し伸べ「福田」の種をまいておくことによって、自分の今後の幸せ、周囲の幸せにつながるのではないでしょうか。
皆様も「声をかける」「話を聞いてあげる」といったことからで結構です。「福田」作りを始めてみてはいかがでしょうか。





