No.25 アンバパーリー(令和4年4月号)

「悩める絶世の美女のお話」
「美しさとは何か」

【はじめに】
 皆様は、容姿の美しい人を見て「羨ましい」「あのようになりたい」と思ったことはありますか。
 インターネットで『 美人 得 』と検索すると、「ちやほやされる」「?られない」など、整った容姿のメリットについて書かれた記事が多く見受けられます。「もっと美しければ、今以上に幸せな人生が歩めるはずだ」と考える方は多いのかもしれません。
 そこで本日は、類(たぐ)い稀(まれ)な美貌(びぼう)と才能に恵まれながらも人生に悩み、やがて本当の幸せを得た、仏教説話の美人代表ともいえる「アンバパーリー」についてお話し、「美しさ」について考えてみたいと思います。
【遊女アンバパーリー】
 ヴァイシャ―リーという商業都市に、「アンバパーリー」という名の女性がいました。
 彼女の両親は不明であり、マンゴー樹(じゅ)の下で拾われ、マンゴー園の庭守に育てられたことから「アンバパーリー(マンゴー園の守り人)」と呼ばれています。
 成長した彼女は、ヴァイシャ―リーだけではなく、遠い国の貴公子からも求婚されるほどの類まれな美貌の持ち主となりました。その美貌は当時のお坊さんたちをも虜(とりこ)にするほどで、彼女が来るのを見て、仏教の開祖であるお釈迦(しゃか)様(さま)はその美貌(びぼう)に心を揺(ゆ)らしてはならないと、弟子達を諭(さと)したといわれています。
 やがて、貴公子たちはアンバパーリーをめぐって争いをはじめました。そのあまりのわずらわしさにアンバパーリーは疲れ果て、縁談を全て断り遊女となります。
 遊女(ゆうじょ)となってからも、彼女の美しさは磨きがかかり、歌や舞踊(ぶよう)も巧(たく)みであった為、大勢の人々が彼女を求めて大金を投げ出しました。その結果、彼女はヴァイシャ―リーでも有数の大金持ちとなり、かつて自身が捨てられていたマンゴー園を買い取ります。このマンゴー園が、後に彼女の人生を大きく変えるきっかけとなるのです。
【アンバパーリーの寄進】
 『大パリニッパーナ経』(大般(だいはつ)涅槃経(ねはんぎょう))と呼ばれる経典に、次のようなお話が残っています。
ある日のこと、遊女アンバパーリーはお釈迦様が、彼女の所有するマンゴー園に滞在されていることを知りました。以前からお釈迦様を尊敬していた彼女は、馬車を仕立てて自身のマンゴー園に足を運び、お釈迦様の説法を聞きます。その教えに深く感じ入った彼女は「お釈迦様。明日、私の家で修行僧の方々と一緒に食事をなさってください。」と申し出ました。お釈迦様がこれを承諾されたので、アンバパーリーは大変喜びます。
 その帰り道、アンバパーリーの馬車が若い貴公子たちの乗る車と衝突してしまいました。貴公子たちに「なぜ私たちの車にぶつかってしまったのか」と聞かれ、彼女はお釈迦様たちを自宅にお招きする約束をしたことで、心が高ぶり、ぶつかってしまったと謝罪します。これを聞いた貴公子たちは「十万金を差し上げますので、その食事の接待を私たちに譲ってもらえないか。」と言いました。これに対して、アンバパーリーは「たとえヴァイシャ―リーの全て土地を頂けたとしても、このような素晴らしい食事のおもてなしを譲ることは致しません。」と答え、申し出を断りました。
 諦めきれない貴公子たちは、お釈迦様のもとへ行き「明日、私たちの家で修行僧の方々と一緒に食事をなさってください。」と申し出ます。すると、お釈迦様は「私はすでに、明日、アンバパーリーから食事の招待を受けています。」と述べ、貴公子たちの誘いを断るのでした。
 次の日、約束通りお釈迦様と修行僧たちはアンバパーリーのもとで食事の接待を受けます。アンバパーリーは「お釈迦様。私はこのマンゴー園をお釈迦様と修行僧の方々に献上します。」と申し出て、自分の育ったマンゴー園を寄進しました。こうして、アンバパーリーが寄進したマンゴー園には精舎が建つと「菴羅樹園精舎」と呼ばれるようになり、仏教を広めるための重要な拠点の1つとなったのです。
【平等と無差別】
 この説話にみられるように、アンバパーリーは仏教に信仰のあつい人物でした。しかし、お釈迦様の時代のインドはカースト制度により身分が厳しく分かれていたため、貴族階級である貴公子たちと、奴隷階級である庭守や遊女では、激しい格差があったと考えられます。そのため、お釈迦様が貴公子たちの申し出を断り、アンバパーリーの接待を優先したことは、当時の常識では考えられないほど画期的なことでした。すなわち、お釈迦様は身分による差別を否定したのです。アンバパーリーは稀有な美貌と才覚で裕福な暮らしを得ましたが、身分により差別される立場でもありました。だからこそ、お釈迦様の説く仏教が広まり、差別のない世界となることを夢見て、自身が生まれ育ったマンゴー園を寄進したのかもしれません。
【尼僧アンバパーリー】
 アンバパーリーと仏教をめぐるお話には、続きがあります。『テーリーガーター』という経典に、年を重ねて出家し尼僧(女性のお坊さん)になった彼女の詞が残されているのです。そして、詞には、美しかった肉体が年老いて変わり果てたことと、その苦しみが綴られています。
 孤児だったアンバパーリーは、類(たぐ)い稀(まれ)な美貌(びぼう)と才能によって貧しい暮らしから抜け出しました。また奴隷階級である遊女として、身分の差を超えて多くの人々を魅了するまでには、想像を絶する鍛錬も必要だったと思います。だからこそ、彼女にとって若さが失われてゆくことは、自身の存在意義が失われてゆくように思われ、耐え難い苦しみだったのではないでしょうか。
 仏教には「諸行(しょぎょう)無常(むじょう)」という、「いつまでも変わらないものはなく、物事はいずれ移り変わる」という教えがあります。人は必ず歳を重ね、自然災害などを考慮すると裕福な暮らしがずっと続く保証もありません。そして、移り変わるものを心の拠り所としてしまうと、それが失われた時、自分の存在意義も分からなくなってしまうのです。
 アンバパーリーは出家後、悟りを開いて本当の幸せに気付いたと伝わっています。容姿の変化に悩む彼女が気づいた幸せは、諸行無常の教えを受け入れた美しさだったのではないでしょうか。
 桜のように散りゆくからこそ心惹かれるものや、漆の器のように年を重ねる程美に磨きのかかるものも、この世には沢山あります。人も同じで、若さと共に瑞々(みずみず)しい美しさは失われたとしても、豊富な人生経験や知性から生まれる内側から滲み出るような美しさには、心打たれるものがあります。そして、これらの「時を重ねて生まれる美」を重んじてきたのが、私たち日本人ではないでしょうか。
 外見の美しさには目を惹かれます。しかし、内面や移り変わるものに美しさを見出せるようになれたなら、より豊かな人生になるのではないでしょうか。