No.28 仏像の誕生(令和4年8月)

「なぜ仏様は彫刻されなかったのか?」
「古代の人々が考えた仏様」

【仏様の姿】
 「仏様を思い浮かべてください」と言われたとき、皆様はどのような姿を思い浮かべますか。多くの方がお寺や本で見た「仏像」の姿を想像するのではないでしょうか。
 どこのお寺でも仏様について説明するとき、本堂の仏像をさして「この方が仏様です」と示すので、仏像を仏様の姿として想像することは当たり前に思うのではないでしょうか。
 しかし、仏様が今のように仏像として拝まれるようになったのは、仏教を開いた人物である、お釈迦(しゃか)様(さま)が亡くなられて数百年経ってからのことと考えられています。
 ではなぜすぐに仏像が造られなかったのでしょうか。本日は仏教美術の歴史を通して、なぜ仏像が作られなかったのかについて考えてみたいと思います。

【お釈迦様について】
 はじめに仏様の代表格である「お釈迦様」についてお話したいと思います。
紀元前500年(今から約2500年前)、お釈迦様は現在のネパール領にあったカピラ国の王族として生まれました。しかし、「生(しょう)老(ろう)病死(びょうし)」の苦しみに日々悩(なや)まされ、これらから逃れる方法を求めて三十歳のときに出家を決意しました。出家後は苦行や瞑想(めいそう)などの修行(しゅぎょう)を続け、菩提樹(ぼだいじゅ)の下で「本当の幸せとは何か」に気づき悟(さと)りを開きました。その後、お釈迦様は自身が悟った内容を人々に広める旅に出て、仏教はインドにひろまることとなりました。
 お釈迦様は八十歳で亡くなられ火葬されました。インドではお釈迦様のように悟りを開いた人物を「仏」(仏様)と呼び尊敬します。そのため、お釈迦様のお骨は「仏塔」に納められインド各地で祀られるようになったのです。

【仏塔と彫刻】
 お釈迦様は悟りを開いて仏様になりましたが、「過去七仏(かこしちぶつ)」といってお釈迦様以前にも仏様がいらっしゃったという信仰などから、多数の仏様がいらっしゃると考えられました。そのため、仏塔はお釈迦様だけではなく、仏様全般を拝む場所となりました。
 やがて多くの仏塔が造られると、仏様たち(お釈迦様を含む)の説話が彫刻として仏塔に飾られるようになりました。しかし、これらの彫刻を見てみると、主役であるはずの仏様たちの姿が見えないことに気が付きます。
実は古代の仏塔彫刻では、仏様たちの姿を「仏(ぶっ)足跡(そくせき)」「聖樹(せいじゅ)」(樹木)などのものに置き換えて表していたのです。
例えば、仏様には「三十二相(さんじゅうにそう)」が現れるという信仰から、
・仏様の足の裏には「足下(そくげ)二輪相(にりんそう)」といって縁起の良い特殊な指紋(しもん)がある。
・仏様の指と指の間に「手足指縵網相(しゅそくしまんもうそう)」と呼ばれる水かきのようなものがある。
・仏様の舌は「大舌(だいぜつ)相(そう)」といって広長で髪の生え際まで届く。
などの三十二の相が挙げられます。「手足指縵網相」の水かきは、苦しむ人々を洩(も)れることなく救うことの表現であるとされ、三十二相はそれぞれ仏様の性質や凄みを表しているのです。
 恐らく三十二相の中で、仏様の姿を直接表わすことなく凄(すご)みを表現するものとして足跡(足下二輪相)が最適だと考えられたのでしょう。また、仏様を聖樹として表わすのは、お釈迦様が「菩提樹」の下で悟りを開いたからだと考えられます。
このように古代の仏教徒たちは仏様の姿を直接彫刻することなく、仏様やお釈迦様に由来したものを使って間接的に表現していました。

【なぜ仏様を彫刻しなかったのか】
 ではなぜ古代の仏教徒は仏様を彫刻として表さなかったのでしょうか。
 『増一阿含経』を見ると、「仏様の身は不思議なもので、その姿を造作したり、長い、短いと測(はか)ることはできない」ということや「仏様は世界で最も尊く、神々よりも優れているので、像貌する(形作る)ことはできない」といったことが書かれています。つまり、古代インドの仏教徒は仏様を神様以上の存在と考え、その姿形は表現することができないほど尊いものであると考えたのです。すなわち、仏様を尊敬するあまり、あえてその姿を表現しなかったと言えるでしょう。そして、見えない仏様を拝み、少しでも仏様たちに近づこうと努力したのです。

【仏様と仏像】
 さて、お釈迦様が亡くなって300年ほど経った紀元前二世紀から一世紀頃に仏様の彫刻がみられるようになり、やがて私たちが想像する「仏像」へと発展しました。
 仏教の瞑想修行を説く『般舟三昧経』では、瞑想修行の初心者に仏像をつかって修行することを勧めています。恐らく姿のない仏様を想像するのが難しいと考えられたのでしょう。当然、信者の方々も同様で、見えない姿を信仰するよりも仏像として表わし信仰する方がわかりやすかったのではないでしょうか。
 以上のように、仏様に対する表現は時代によって変化しました。しかし、そこに姿があろうが、なかろうが、古代も現代も仏様を尊敬する気持ちに違いはないのです。

 古代の人々から見ると、現在私たちが拝む仏像は、表現することのできない仏様を仮に表したものです。つまり、表現することのできない姿に近づけたものが仏像であるといえるのではないでしょうか。
 今後皆様が仏像を見て感動したときは、その感動以上の素晴らしさを仏様はもっていると思っていただければ幸いです。