No.33 仏教とうさぎ(令和5年1月)

「なぜウサギは月にいるのか」
「仏教とウサギの物語」
 
【はじめに】  
 本年の干支は「卯(う)」です。卯年の動物には「兎」(ウサギ)が当てられています。
ウサギは草原や半砂漠地帯、雪原など様々な場所に生息する動物で、草や木の葉、樹皮、果実などを食べ、一部の野生種はアリなどの昆虫を食べることもあります。ウサギの天敵はヘビ、キツネ、カラスをはじめ小~中型の肉食獣、猛禽類ですが、約30から40日の妊娠期間を経たのち、一から六羽、多い時にはそれ以上を出産するほど多産で、今日まで種が絶えることなく生存してきました。
 卯年生まれの人の性格について調べてみると、単独行動はあまり好まず、集団の中にいることを好むことが書かれています。「ウサギは寂しいと死んでしまう」という俗説があることが、卯年の人は寂しがり屋が多いと思われるきっかけになったのかも知れません。また、気分屋で落ち着きがない性格とも言われ、ウサギがきょろきょろと動き回る愛くるしいしぐさからこのように思われたのでしょう。
 さて、本年最初の地蔵会は、「ウサギと仏教」と題してお話したいと思います。

【お釈迦様の前世物語とウサギ】
 約2500年前のインドでお釈迦(しゃか)様(さま)という方によって仏教は開かれました。お釈迦様は王族の出身でしたが、四苦(生きること、老いること、病むこと、死ぬことの苦しみ)から逃れる方法を探すために身分や資産などのすべてを捨てて出家修行にはいりました。出家後、六年間の修行の末、本当の幸せとは何かに気づいたお釈迦様は「悟(さと)り」を開きました。
 お釈迦様が存命のインドでは輪廻(りんね)転生(てんしょう)が信じてられていました。
 輪廻転生とは、「生まれ変わり」のことで、善いことをして功徳(くどく)を積めば、次の生まれ変わりで良いところに、悪いことをしていると逆に悪いところへ生まれ変わるという考え方です。例を挙げると、善いことをすれば「天」や「人」に生まれ、悪いことをすれば「餓鬼(がき)」や「地獄(じごく)」に生まれ変わるというものです。
 お釈迦様が亡くなって以降、お釈迦様は悟りを開くほど立派な方であるため、前世で善い行いをたくさんしていたに違いないと人々は考えるようになりました。そして、経典にお釈迦様の前世物語が記されるようになりました。その中でも「うさぎの布施」などと呼ばれるお話が有名です。
 ここで『本生経』をもとに「ウサギの布施」の内容をご紹介したいと思います。

 昔、ベナレスというところに、一匹のウサギが友達のカワウソとジャッカルとサルの三匹と仲良く暮らしていました。四匹は賢くて、ウサギは特に聡明(そうめい)でした。
 ある日、空の月の形から、明日が「布(ふ)薩(さつ)」の日に当たることにウサギが気付きました。
 布薩の日とは、新月と満月に自分の行いを反省する日で、仏教の場合はお経を読み、守るべき行い(戒律(かいりつ))を確認する日です。
ウサギは明日が布薩の日であることを三匹に伝え、「しっかりと戒めを守って施しをすれば、かならず良い報いがあります。だから物乞(ものご)いの修行者が来たら、みんな自分の食べ物の中から施(ほどこ)しをしてください」と言いました。これを聞いた三匹は「はい、そのようにします」と答え、各々のすみかに帰って眠りました。
 布薩の日、カワウソは魚、ジャッカルはヨーグルト、サルはマンゴーを見つけました。しかし、これらは戒めが守られていない食べ物で、三匹はそれに気づいていません。
 ウサギは戒めをしっかりと守りましたが、とれたのはウサギの食料にする茅(ちがや)(イネ科の草)でした。ウサギは「私の所に食べ物をもらいに来る人に、この茅を施しても食べられない。よし、もし私の所へ物乞いが来たら、私は自分の身体を施そう」と心に決めました。
 天に住む「帝釈天(たいしゃくてん)」という神様は、ウサギの熱意を感じ取り、ウサギの心を試してやろうと考え、下界に降り立ち修行者に変身しました。
 修行者の姿に変身した帝釈天は、カワウソ、ジャッカル、サルの前に現れ、食べ物を乞いましたが、三匹の施しは戒(いまし)めにかなったものではなかったので受け取りませんでした。帝釈天は修行者の姿のままウサギの所に行くと、ウサギは「あなた様は何の御用でいらしたのですか」帝釈天に尋ねました。これを聞いた帝釈天が食べ物を乞うと、ウサギは帝釈天に火を焚くように言いました。
 帝釈天が火を焚き終えると、「私の肉を召し上がり、修行を続けてください」と言って、ウサギは火に身を投じました。しかし、その火はウサギの毛筋一本も焼くことはありませんでした。
 ウサギは驚いて、自分の身体が燃えないことを帝釈天にいうと、帝釈天は自らの正体を明かし、この火は幻(まぼろし)であることをウサギに告げました。そして、ウサギの尊い心、限りなく高い徳が、世界中に知れ渡ることを願い、帝釈天は月にウサギの姿を描き天の世界に帰っていきました。

【慈悲の心】
 以上がお話の内容となります。日本で「月にウサギがいる」と言われているのはこの話が影響していると考えられます。
ウサギが火に身体を投じたことを聞いて、このお話が、相手のために命を捨てることが善いと説いたものと考えた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ウサギが火に飛び込んでも死ななかったことを考えると、「相手のために死ぬことが素晴らしい」と説いているとは言えません。
 このお話が釈迦様の前世物語として記されたことを考えると、お釈迦様のことを伝える目的があったと考えられます。つまり、お釈迦様は前世から、「自分の身より他人を大切にする慈悲深い方だった。その結果、人として生まれ変わり悟りを開くことが出来た」とこのお話は伝えたかったと考えた方が正しいのではないでしょうか。
自分自身を大切だと思うことは悪いことではありません。しかし、自分を思う気持ちを他者にも向けることができたならば、もっと素晴らしいことだと私は思います。
 皆様も他者を助けるチャンスがあれば積極的に手を差し伸べて「功徳」を積んでください。生まれ変わり先が良くなるかもしれませんが、今の人生もさらに良いものになるのではないでしょうか。