No.4 バカなお坊さんが悟った話(平成28年12月号)

~はじめに~

 先日、私は病院内であるポスターが目に留まりました。そこには「二日酔い」や「しゃっくり」「小さなすり傷」で救急車を呼ばないで、本当に必要としている人のためにゆずってくださいと広告していました。

 昔はよく「傷口につばをつけておけば治る」と根拠のない方法を教えられましたが、案外そのようにしたら治っていったものです。しかし、このポスターの件や教育現場で働く私の経験上、怪我や体調不良に社会が敏感になりすぎているように感じられます。

 そもそも、医者は治す仕事ではなく、治す手伝いをする仕事であって結局治すのは自分自身なのです。これは心の問題にも直結します。自身の悩みを他人に相談するのは良いことですが、それだけで満足するのではなく、自分と向き合い正しく解決することが大切です。次に紹介するチューラ・パンタカのお話は自分と向き合うことについて語られています。


~チューラ・パンタカのお話~

 ある日、お釈迦(しゃか)さまのもとに二人の弟子希望者が訪れました。

 一人は「マハー・パンタカ」といって、村でもっとも賢く尊敬される男でした。そして、この男と共に弟子入りしたのは、弟の「チューラ・パンタカ」でした。

 チューラ・パンタカは非常に物覚えの悪い人でした。そのために村の者からもバカにされましたが、兄のマハー・パンタカが弟をかばうのでした。弟はそのような兄を尊敬し、兄といつまでも離れたくないと思うようになり、兄がお釈迦さまに弟子入りすると言ったときも、チューラ・パンタカは兄と共に行くことを願いました。兄はチューラ・パンタカにはお坊さんの修行は難しいと考えましたが、泣きながら頼む弟を置いていくことができず、兄弟で弟子入りすることになりました。

 お釈迦さまはチューラ・パンタカのことを知っていましたが、拒まず弟子として迎え入れました。

 さて、チューラ・パンタカのお坊さんとしての修行が始まりましたが、チューラ・パンタカは失敗ばかりで村にいたときのように「チューラ・パンタカは物覚えが悪いから何をさせてもダメだ」「お釈迦さまの教えを一つも暗記することができない。」と周りのお坊さんにバカにされるようになりました。

 兄はそんな弟をかばい、可愛がって面倒を見ていました。しかし、兄は自身の評価が高まるにつれて悩(なや)み事は弟の失敗の後始末だけとなり、極めて愚鈍(ぐどん)なチューラ・パンタカを日増しに敬遠(けいえん)するようになりました。

 そのような兄の態度にチューラ・パンタカは寂しさを感じ、出家(しゅっけ)以前にしたようにマハー・パンタカにじゃれました。
 しかし、お坊さんになる前が兄弟であったとしても、修行者はじゃれあってはなりません。マハー・パンタカはそのときの弟の行動に激怒して「愚(おろ)か者のチューラ・パンタカ。おまえは兄の恥であり僧侶の恥だ。」と言って弟を修行場の外に突き飛ばし、マハー・パンタカは兄に泣いて詫びる弟を捨ててその場を去るのでした。

 チューラ・パンタカはそれでも兄の近くに居たいと願い。お釈迦さまのもとを訪れ「どうすれば私の愚(おろ)かさは消えましょうか」と訪ねました。するとお釈迦さまは真っ白な布を手渡し「塵(ちり)を払え。垢(あか)を除け。」という言葉のみを覚えて、掃除の際は、一心にこの言葉を唱えるように教えられました。

 チューラ・パンタカは毎日「塵(ちり)を払え。垢(あか)を除け。」と唱えながら掃除を続けました。そしてある日。チューラ・パンタカは掃除中にふと気づきます。

 「塵を払え。垢を除け。」とは、自分の煩悩(ぼんのう)(心の汚れ)の事をいっているのはないだろうか。「自分は塵(ちり)であり、自分は垢(あか)なのだ」この気づきによって、チューラ・パンタカは、悟り(正しい生き方)に気づきました。
 
 そのときお釈迦さまはチューラ・パンタカに正しい生き方を皆に伝えるように指示しました。

 翌日、チューラ・パンタカから学ぶことは何もないと思っていたお坊さんたちはチューラ・パンタカの話を聞いて心を打たれました。誰よりも心を打たれたのは兄であるマハー・パンタカでした。
 
 弟を愚(おろ)か者と呼んだことを恥ずかしく思い、そのような自分の傲慢(ごうまん)さを後悔(こうかい)したのです。兄は弟に頭を下げて謝り、許しを請(こ)いました。チューラ・パンタカは兄ともう一度修行できることをうれしく思い、兄を許すと同時に兄に対する無礼を誤りました。その後、二人は共に修行の道を歩むようになりました。


~人として正しい生き方~

 さて、チューラ・パンタカが気づいた「自分は塵(ちり)であり、自分は垢(あか)なのだ」について考えてみたいと思います。

 私たちは分かっていながらも出来心で自分勝手なことをしてしまいます。この自分勝手な心を「煩悩(ぼんのう)」と呼びます。チューラ・パンタカは「塵と垢(煩悩)」は自分だということに気づきました。つまり、修行において本当に掃除しなければいけないのは自分の心なのです。

 私たちは他人をバカにすることで、自分が立派な人間になったように勘違いしてしまいます。しかし、それは自分勝手な心(煩悩)が見せている心の幻(まぼろし)にすぎません。これを除くことが正しい生き方とチューラ・パンタカは気づいたのです。

 お釈迦さまが入滅(亡くなる)される前に弟子に「お釈迦さまが入滅された後、我々は何を拠り所として生きればよいのですか」と質問されたところ「私(お釈迦様)や他人を拠り所とせず、自身を拠(よ)りどころとし、法(教え)を拠(よ)りどころとせよ」と説かれました。

 つまり、すべての答えは自分の心にあり、他人にその答えを求めることは間違っていると言うのです。
 人として正しい生き方は他人に任せるのではなく、他人(医者)にヒントをもらいながら自分の力で心の弱いところを治す努力をすることなのです。