No.21 不綺語~飾らない言葉の魅力~(令和3年12月号)

「お世辞は人のため?」
「飾らない、敬いの言葉をつかいましょう」

【はじめに】
 皆様は家族や友人との会話でどのようなお話をされますか。近況報告、噂話、趣味など様々あるでしょう。人と集まってお話しすることは楽しく、内容が意外なものであれば盛り上がります。そして、さらにお話を盛り上げようとふざけて「冗談」を言ってみたり、喜ばせようと「お世辞」をつかうこともあるかもしれません。
 「慈(じ)雲(うん)」というお坊さんが、「行わない方が良い」とされる十の項目である「十善(じゅうぜん)戒(かい)」という教えを日本全国に広めました。この「十善(じゅうぜん)戒(かい)」の中には「不綺語(ふきご)」といって、「冗談」や「お世辞」などの「飾られた言葉をつかわない方が良い」という教えが規定されています。では、なぜ「飾られた言葉」をつかわない方が良いのでしょうか。
 本日は「慈雲」の言葉が記された書物『十善法語(じゅうぜんほうご)』をもとに「不綺語」という教えについて考えてみたいと思います。

【「綺語」とはどのような言葉?】
 先ずは「綺語」という言葉について確認しておきましょう。
『十善法語(じゅうぜんほうご)』によると、「綺語(きご)」とは「純粋(じゅんすい)でない言葉」を指します。つまり、ある事実・出来事を自分の思いや考えで飾り付け、表現した言葉が「綺語」です。例えば、軽口、たわむれ、そしり、うそ、ざれごと、などを綺語の例として挙げることができます。
 お酒の席で「今の会社はよくない」と「軽口」を叩いたとします。軽口は軽い気持ちで話す言葉なので、実際に「何とかしよう!」と思っていません。しかし、この言葉を聞いた部下が「先輩について行きます、一緒に改革しましょう!」と言った場合、思いもしない反応に慌ててしまいます。このような場合は、やる気がないのにやる気があるように飾った言葉なので綺語と言えるでしょう。
 また、「あいつは能力が低い」、「あいつはダメなやつだ」と相手を「そしる」ことも自分の考えをもとに相手の評価を付けているので、純粋な事実・出来事ではなく話し手の思いが飾り付けられているといえるでしょう。悪口と綺語の違いはそこに悪意があるかどうかです。「そしる」ことは悪意がない分よくない言葉だと気づきにくいのです。
 このように、「綺語」は事実・出来事を話し手の「気持ち」や「思い」によって飾り作られた言葉なのです。お笑い芸人や俳優なども誇張や演技による事実ではない言葉をつかっていますが、『十善法語』では、相手を楽しませようという心から来ているものなので悪いことではないと説きます。特定の人や物事に対して、話し手の「気持ち」や「思い」による改ざんがなければ綺語とは言えないのです。

【なぜ「綺語」をつかわない方が良いのか】
 それでは、なぜ綺語をつかわない方が良いのでしょうか。
『十善法語』に見られる周の「成(せい)王(おう)」の説話を取り上げたいと思います。
 昔の中国には、周(しゅう)という国がありました。時の王様が崩じたので、まだ幼い「成(せい)王(おう)」が王座に就(つ)き、部下の周(しゅう)公(こう)旦(たん)が政治をサポートすることになりました。
 ある日、成王は弟と園で遊んでいました。成王はたわむれで、葉を王の身分を示す玉の形に切り抜きました。そして、弟に与えて「これをもって汝(なんじ)を領主とする」と言ったのでした。弟は喜んで周公旦に告げました。周公旦は制服を正して領主としてねぎらいました。成王は「たわむれでやったことだ」、と周公旦に言いましたが、周公旦は「国を治める立派な方にたわむれ言などありません」と言ったのでした。その後、成王は軽い気持ちで発言しなくなったそうです。
 「たわむれ」という軽い気持ちでの発言でも、立場が高かったり、自分を慕ってくれる人々は、「彼ほど立派な人が冗談でそのようなことを言うはずがない」と真剣に言葉を捉(とら)える時があります。好意的に評価されているという証拠でもありますが、「自分に意図はなかったのに…」と思った言葉が問題の引き金となることもあるので綺語は危険な一面があるのです。綺語をつかってはいけないと言いたいのではありません。このような危険性があることを理解したうえで言葉選びを行う必要があるのです。
 では「お世辞」についても考えてみましょう。相手が着ている服装が似合わないと思いながらも、相手との関係を悪くしたくないために、「その服よく似合いますね」とお世辞を言ったとしましょう。相手との関係性や相手を喜ばせることを考えると、「相手のため」の言葉のように思えます。しかし、お世辞を言ったところで問題点は解決せず、一時的な安心を相手に与えるだけです。また、相手に自分の気持ちを隠し、嘘をついた状態にもなってしまいます。嘘がばれたときに関係は悪化するだけです。このように見ると、「お世辞」と言う飾った言葉で取り繕っても、取り繕いの関係しか生まれません。つまり、「相手のため」という〝つもり〟になっているだけなのです。
 しかし、相手を傷つける恐れがあるので、直接伝えるのもよくありません。そのようなときは相手を様々な面から見るのが良いのではないでしょうか。服装のどこが良いか、どこが悪いか、と物事の長所と短所を見極めることで、「これとこれはよいですね。しかし、ここを直すともっと良くなるのではないでしょうか」と好感を見せながらアドバイスを与えることができるようになります。このように会話をすれば綺語にならず相手のためになるのではないでしょうか。

【おわりに】
 『十善法語』には、不綺語を実践する人は風・雲・日・月のすべてが楽しみになると説明しています。つまり、飾る言葉を捨てれば、すべての物事の良さを知ることができるということです。先ほどの「お世辞」の例のように、物事を様々な視点から見ることによって長所と短所が見えてきます。すると飾った言葉をつかわなくとも様々な楽しい言葉が浮かんでくるはずです。そして、その中で相手を思いながら言葉を選べば、敬いを持った言葉を発することができるのです。
 本当に楽しい会話は、作られたものではなく、相手を敬う言葉から生まれるのではないでしょうか。