No.24 不邪淫~正しいお付き合い~(令和4年3月号)

「なぜ人は愛するのか?」
「不邪淫を護る大切さ」

【不邪淫戒とは】
 「十善戒」という教えが仏教にあります。十善戒は「行わない方が良い」とされる十の項目です。
 十善戒の一つに「不邪淫(ふじゃいん)戒(かい)」があります。「邪」とは「正しくないこと」「人の道に外れたこと」を指し、「淫」とは「性的関係」「男女の交わり」を指します。すなわち「邪淫」とは「道に外れた男女の関係」のことだと考えて良いでしょう。「戒」とは「戒め」であり、過ちを防止する規範のことです。つまり「不邪淫戒」とは、「道に外れた男女の関係を戒める教え」であるといえます。
 すると、「不倫」は邪淫の代表例といえるのではないでしょうか。週刊誌やワイドショーで芸能人の不倫が報道されると、「良くないことだ!」「妻子のことを全く考えていない!」など、多くの批判の声が飛び交います。しかし、不倫が周囲の迷惑になることや、道徳的に不適切であることは周知されているはずです。
なぜ、いけないと分かっていても『邪淫」を犯してしまうのでしょうか。本日は「邪淫」について考えると共に、「不邪淫戒」を護る大切さをお話したいと思います。
【「愛」と「憎しみ」は表裏一体】 
 『阿含経』という経典に、「愛より愛は生じ、愛より憎しみは生じる。憎しみより愛は生じ、憎しみより憎しみは生じる。」という記述があります。つまり、「愛」は「憎しみ」と表裏一体であり、いかなる愛も憎しみに変わる可能性を持っているというのです。例えば、相思相愛と信じていた相手の浮気が発覚すると怒りを覚えますし、愛が深いほど強い憎しみを抱くということは、想像に難くないと思います。
 では、なぜ愛が憎しみに変わるのかといえば、「執着」があるからです。「この人は自分のもの』だと無意識に思い込むことで、相手が自分の思い通りにならないことに不安や怒りを覚えるようになります。そして、相手を好きになるほど「自分だけのものにしたい」という「執着」も強くなり、憎しみも強くなるのです。 
 ただし執着自体は悪いことではありません。執着があればこそ、相手を自分の手で守りたい、相手の為に努力したいと思うものですし、互いを支え合おうとする原動力にもなります。問題は執着によって相手の言動を制限したり、望む人では満たされない欲求を別の誰かに求めてしまうことです。
 紫式部の著作『源氏物語』は、主人公である光源氏の華やかな恋模様が見どころの一つといえるでしょう。光源氏は、初恋の女性を生涯忘れられず、満たされない想いを他の女性に求め、様々な美女と関係を持ちました。その結果、自分を心から愛してくれた女性を失うこととなり、光源氏は深く後悔を抱いて晩年を過ごすこととなったのです。
 仏教では、光源氏の心の状態を「渇(かつ)愛(あい)」と呼びます。渇愛とは、愛に渇(かわ)いた状態のことです。光源氏は、初恋の女性では満たされない愛の渇きを別の女性で満たそうとしました。しかし、女性たちは初恋の女性本人ではないため、根本的な渇きは潤すことができず、女性に執着し続けることとなったのです。不適切なことだとわかっていても「邪淫(不倫)」を犯してしまうのは、心の中にある「愛の渇き」が原因かもしれません。
【世間が認める『愛』とは】
しかし、根本的な心の問題の解決にならなくても、「その瞬間だけ満たされればよい」「自分たちさえよければ、周りは関係ない」と考える方もいらっしゃるかもしれません。
三大悲劇の一つにも数えられる『ロミオとジュリエット』は、シェイクスピアの世界的に有名な作品です。ロミオという青年が、友人に誘われて参加した舞踏会でジュリエットという少女に出会い、一目ぼれをして、やがて二人は恋に落ちます。ほどなくして、二人は互いが仇家(きゅうか)の跡取り同士であることを知るのです。しかし、それでも気持ちは変わらず、許されない恋の果てに二人は悲劇的な死を迎えます。
1595年頃に書かれたこの作品は、二人の悲劇的な運命だけではなく、「あなた無しでは生きられない!」という、燃え上がるような恋の情熱に多くの人が惹かれました。「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの。」というセリフは、ジュリエットの愛と苦悩の深さが上手く表現された名言です。
この作品ができた当時は、「相応しい恋人関係であるか」を決める時、世間で評価されるのは「どれだけ愛し合っているか」ではなく、家同士の関係や家格のバランスなど二人の周囲の環境でした。そのため、仇同士の家に生まれたロミオとジュリエットの関係は周囲から認められず、悲惨な死を迎えることとなったのです。
もちろん、様々な障壁を乗り越えて幸せを掴み取るカップルもいるでしょう。しかし、やはり周囲の理解が得られない関係を続けるのは、辛く苦しい道のりであることも事実だと思います。それが不倫関係であれば尚のことです。家族を傷つけ、友人や職場の信頼を失いながら、ひとときの満足を求め続ければ、互いの人生に浅からぬ傷を残すことになるでしょう。
【愛と縁】
 仏教では、すべての物事は「縁」によって生じると考えます。縁とは「つながり」のことです。恋愛も同様で、自分と相手の状態、出会った場所や時期など様々な要素が重なって、二人の間に愛が生まれます。そして、二人の愛から新たなつながりを生み縁を大きく広げてゆくこともできるのです。
 反面、不倫などの礼儀を欠いた縁は家族を傷つけ、友人や職場などのつながりを絶ってしまったり、あらゆる物事が上手く行かなくなる原因となります。様々なつながりを手放した後で二人の縁も途切れた時、互いの手には一体何が残るのか、ぜひ一度考えてみてください。
【不邪淫戒を護る大切さ】
 「不邪淫戒」を護り周囲との縁を尊重することは、現状を冷静に考えて、自分自身の不満と向き合うきっかけになります。すると、恋人や結婚相手と話し合うべき内容が明確になり、根本的な問題の解決に繋がります。そのように信頼を積み重ねてゆけば、互いを支え合える幸せな関係を築き、良好な関係を末永く続けて行くこともできるのではないでしょうか。
 愛の渇きは、誰かに潤してもらおうと思っても、永遠に満たすことはできません。渇愛の原因は自分の心の中にあり、その原因を見つけて、根本的に解決する必要があるからです。
「邪淫」の気持ちが首をもたげた時は、目を逸(そ)らしたり、解決を諦めている問題がないか振り返ってみてください。その問題に勇気を出して向き合ってみることで、道を踏み外すことなく、大切な方と共に心満たされた生活を送ることができるかもしれません。