「なぜ日本の蕎麦は世界から評価されるのか」
「蕎麦から見える食のつながり」
【はじめに】
皆様は、フランスの「ミシュラン社」が刊行している『ミシュランガイド』をご存じでしょうか。『ミシュランガイド』では、世界各地のホテルやレストランが評価付けされ、その結果が星の数で示されます。掲載されたお店は「三ツ星レストラン」などとバラエティー番組などで紹介され、与えられた星の数やお料理に視聴者は沸き立ちます。
さて、2020年版の『ミシュランガイド』では、評価された星の数が都市別に公開されています。上位の五つの都市は、第五位「ニューヨーク」(76個)、第四位「大阪」(98個)、第三位「京都」(106個)、第二位「パリ」(119個)、第一位「東京」(226個)となりました。このことからも、日本人の料理に対する真摯な姿勢は海外から高く評価されていることがわかります。
蕎麦(そば)の魅力、蕎麦の歴史について書いた著書に『蕎麦の旅人』があります。著者の福原耕さんは著書の中で、平成十九年の「ミシュランガイド」日本上陸以来、数多くの蕎麦屋がガイドブックに掲載されてきたと述べたうえで、「蕎麦屋は買い付けから、製粉・製麺に至るまで一貫した作業を自家で行い、徹底した品質への他にあまり例のないこだわりを見せるのが普通とされている。この〝求道的な姿勢〟が、ミシュランガイド調査員の共感を引き出しているのかも知れない。」と、その理由を推察しています。
実際の理由はミシュランガイドの人でなければ分かりませんが、福原さんのおっしゃるように、蕎麦に対する「求道的な姿勢」には胸を打つものがあるように思います。
では、なぜ蕎麦は求道的な姿勢で作られるのでしょうか。本日は蕎麦の歴史から、日本人の求道について考えてみたいと思います。
【蕎麦と日本人】
ここで一度、蕎麦(そば)の簡単な歴史に触れたいと思います。
蕎麦はソバの花からとれた実を原料としています。蕎麦は縄文時代に朝鮮あるいは中国から伝わり、徐々に日本全国に広まったと考えられています。日本に伝わった当初は、粒のまま煮て「蕎麦米・蕎麦粥」として食べていたと考えられています。
そして、中国から石臼(いしうす)が伝わって、蕎麦の実を引いて蕎麦粉を造り加工する「蕎麦団子」や「蕎麦がき」が作られるようになりました。
江戸時代に入ると、「そば切り」と呼ばれる細長い麺状の蕎麦が見られるようになります。これが現代の私たちも蕎麦屋で注文する一般的な蕎麦の原型です。つまり、蕎麦の歴史からすると、私たちがイメージする蕎麦(そば切り)は比較的新しい蕎麦の形なのです。
【蕎麦と禅】
さて、「そば切り」の起源については諸説ありますが、いずれも「臨済宗(りんざいしゅう)」というグループの仏教寺院が挙げられており、蕎麦と臨済宗が深く関わっていたことがわかります。
臨済宗は「栄西(えいさい)」(1141~1215年)が宋(そう)(中国)で学んで日本に広めた教えで、「禅(ぜん)」を中心に修行します。また、栄西は宋(そう)から「禅」とともに「お茶」と「石臼」を日本に伝えた人物でもあります。
栄西の伝えた「お茶」は精神性(心構え)が重視されるようになり、後に千利休(せんのりきゅう)が「侘(わ)び茶(ちゃ)」として大成しました。利休は南宗寺という臨済宗のお寺で修行しておりましたので、禅の説く「日常あらゆるところが修行の場」という教えをもとに「茶(ちゃ)禅(ぜん)一味(いちみ)」(茶の道は禅に通じる)という考えに至ったのではないでしょうか。
同じく「蕎麦」も、禅寺での修行と関わりがあります。修行中は「五穀(ごこく)断(だ)ち」といって米(こめ)・麦(むぎ)・粟(あわ)・黍(きび)・豆(まめ)を食べないときがあります。そのため、この中に入らない「蕎麦」は栄養源として重宝され、茶と共に禅の中で育まれました。そして、禅僧(ぜんそう)は修行のために各地の禅院に移り住む習慣があったとされ、おそらく禅僧と共に蕎麦も各地へ広まっていったのでしょう。
これらの歴史を踏まえると、日本人の蕎麦に対する「求道的な姿勢」は、禅との関りによって培(つちか)われたものと考えられるのではないでしょうか。
【禅と食事】
ここで、臨済宗と同じく「禅」を修行する「曹洞宗(そうとうしゅう)」の教えについても触れてみたいと思います。
曹洞宗は、「道元(どうげん)」(1200~1253年)が宋(そう)(中国)で学び日本に伝えた教えで、臨済宗と共に日本人の生活や思想に大きな影響を与えました。道元は中国の禅院生活を模範(もはん)として、修行生活の規範(きはん)である『永(えい)平(へい)清規(しんぎ)』を著します。
『永(えい)平(へい)清規(しんぎ)』の中で、道元は禅院の台所係(典座(てんぞ))について、食器の置き方や食材の選び方、調理法など事細かに指示し、心構えとして「調理や配食、献立や食材選びの管理等を、仏道修行の一環として細心の注意を払って行うべきである」と説きました。
この思想は、先に紹介した「蕎麦屋がガイドブックに掲載される理由」と重なるように思います。ただ蕎麦を作るのではなく、道元が修行僧に説いた献立や食材選びなどのこだわりが、「蕎麦」作りにも受け継がれて「求道的な姿勢」を生み、日本の蕎麦は海外からも評価される食文化となったのではないでしょうか。
道元は「作り手」の心得の他に、それを「受け取る側」の心構えと食事の仕方や、食前の瞑想(めいそう)についても述べています。ここでは道元は、仏教において「食」は、修行する身と心を維持するためのもの、食事が自分のもとにくるまでには多くの人の手がかかっていることと共に、その重さを味わい、自分がその重さにふさわしい働きをすべきことを常に自覚しなければならない、と説きました。
食べることは植物や動物などの命を頂くことで、それらを育てる方や調理する方もいます。レストランであれば、出来上がったお料理を配膳してくださる方がいて、ようやく食事を口にすることができるのです。道元の説く「自覚」とは、自分がつながり(「縁(えん)」)によって支えられる「受け手」であると同時に、他の命を支える「作り手」だと思い出す方法であるといえるでしょう。
おいしいお料理を召し上がったときには、そのお料理が様々な「縁」の中で培われたことや、作り手の努力の歴史であることに思いを馳せ、自分も「縁」の一部であると意識してみてください。すると作り手の技の重みと、自分もまた多くの命によって生かされていることに気がつき、日々の言動を振り返る一つのきっかけとなり、お料理が一層味わい深く感じられるのではないでしょうか。
「蕎麦から見える食のつながり」
【はじめに】
皆様は、フランスの「ミシュラン社」が刊行している『ミシュランガイド』をご存じでしょうか。『ミシュランガイド』では、世界各地のホテルやレストランが評価付けされ、その結果が星の数で示されます。掲載されたお店は「三ツ星レストラン」などとバラエティー番組などで紹介され、与えられた星の数やお料理に視聴者は沸き立ちます。
さて、2020年版の『ミシュランガイド』では、評価された星の数が都市別に公開されています。上位の五つの都市は、第五位「ニューヨーク」(76個)、第四位「大阪」(98個)、第三位「京都」(106個)、第二位「パリ」(119個)、第一位「東京」(226個)となりました。このことからも、日本人の料理に対する真摯な姿勢は海外から高く評価されていることがわかります。
蕎麦(そば)の魅力、蕎麦の歴史について書いた著書に『蕎麦の旅人』があります。著者の福原耕さんは著書の中で、平成十九年の「ミシュランガイド」日本上陸以来、数多くの蕎麦屋がガイドブックに掲載されてきたと述べたうえで、「蕎麦屋は買い付けから、製粉・製麺に至るまで一貫した作業を自家で行い、徹底した品質への他にあまり例のないこだわりを見せるのが普通とされている。この〝求道的な姿勢〟が、ミシュランガイド調査員の共感を引き出しているのかも知れない。」と、その理由を推察しています。
実際の理由はミシュランガイドの人でなければ分かりませんが、福原さんのおっしゃるように、蕎麦に対する「求道的な姿勢」には胸を打つものがあるように思います。
では、なぜ蕎麦は求道的な姿勢で作られるのでしょうか。本日は蕎麦の歴史から、日本人の求道について考えてみたいと思います。
【蕎麦と日本人】
ここで一度、蕎麦(そば)の簡単な歴史に触れたいと思います。
蕎麦はソバの花からとれた実を原料としています。蕎麦は縄文時代に朝鮮あるいは中国から伝わり、徐々に日本全国に広まったと考えられています。日本に伝わった当初は、粒のまま煮て「蕎麦米・蕎麦粥」として食べていたと考えられています。
そして、中国から石臼(いしうす)が伝わって、蕎麦の実を引いて蕎麦粉を造り加工する「蕎麦団子」や「蕎麦がき」が作られるようになりました。
江戸時代に入ると、「そば切り」と呼ばれる細長い麺状の蕎麦が見られるようになります。これが現代の私たちも蕎麦屋で注文する一般的な蕎麦の原型です。つまり、蕎麦の歴史からすると、私たちがイメージする蕎麦(そば切り)は比較的新しい蕎麦の形なのです。
【蕎麦と禅】
さて、「そば切り」の起源については諸説ありますが、いずれも「臨済宗(りんざいしゅう)」というグループの仏教寺院が挙げられており、蕎麦と臨済宗が深く関わっていたことがわかります。
臨済宗は「栄西(えいさい)」(1141~1215年)が宋(そう)(中国)で学んで日本に広めた教えで、「禅(ぜん)」を中心に修行します。また、栄西は宋(そう)から「禅」とともに「お茶」と「石臼」を日本に伝えた人物でもあります。
栄西の伝えた「お茶」は精神性(心構え)が重視されるようになり、後に千利休(せんのりきゅう)が「侘(わ)び茶(ちゃ)」として大成しました。利休は南宗寺という臨済宗のお寺で修行しておりましたので、禅の説く「日常あらゆるところが修行の場」という教えをもとに「茶(ちゃ)禅(ぜん)一味(いちみ)」(茶の道は禅に通じる)という考えに至ったのではないでしょうか。
同じく「蕎麦」も、禅寺での修行と関わりがあります。修行中は「五穀(ごこく)断(だ)ち」といって米(こめ)・麦(むぎ)・粟(あわ)・黍(きび)・豆(まめ)を食べないときがあります。そのため、この中に入らない「蕎麦」は栄養源として重宝され、茶と共に禅の中で育まれました。そして、禅僧(ぜんそう)は修行のために各地の禅院に移り住む習慣があったとされ、おそらく禅僧と共に蕎麦も各地へ広まっていったのでしょう。
これらの歴史を踏まえると、日本人の蕎麦に対する「求道的な姿勢」は、禅との関りによって培(つちか)われたものと考えられるのではないでしょうか。
【禅と食事】
ここで、臨済宗と同じく「禅」を修行する「曹洞宗(そうとうしゅう)」の教えについても触れてみたいと思います。
曹洞宗は、「道元(どうげん)」(1200~1253年)が宋(そう)(中国)で学び日本に伝えた教えで、臨済宗と共に日本人の生活や思想に大きな影響を与えました。道元は中国の禅院生活を模範(もはん)として、修行生活の規範(きはん)である『永(えい)平(へい)清規(しんぎ)』を著します。
『永(えい)平(へい)清規(しんぎ)』の中で、道元は禅院の台所係(典座(てんぞ))について、食器の置き方や食材の選び方、調理法など事細かに指示し、心構えとして「調理や配食、献立や食材選びの管理等を、仏道修行の一環として細心の注意を払って行うべきである」と説きました。
この思想は、先に紹介した「蕎麦屋がガイドブックに掲載される理由」と重なるように思います。ただ蕎麦を作るのではなく、道元が修行僧に説いた献立や食材選びなどのこだわりが、「蕎麦」作りにも受け継がれて「求道的な姿勢」を生み、日本の蕎麦は海外からも評価される食文化となったのではないでしょうか。
道元は「作り手」の心得の他に、それを「受け取る側」の心構えと食事の仕方や、食前の瞑想(めいそう)についても述べています。ここでは道元は、仏教において「食」は、修行する身と心を維持するためのもの、食事が自分のもとにくるまでには多くの人の手がかかっていることと共に、その重さを味わい、自分がその重さにふさわしい働きをすべきことを常に自覚しなければならない、と説きました。
食べることは植物や動物などの命を頂くことで、それらを育てる方や調理する方もいます。レストランであれば、出来上がったお料理を配膳してくださる方がいて、ようやく食事を口にすることができるのです。道元の説く「自覚」とは、自分がつながり(「縁(えん)」)によって支えられる「受け手」であると同時に、他の命を支える「作り手」だと思い出す方法であるといえるでしょう。
おいしいお料理を召し上がったときには、そのお料理が様々な「縁」の中で培われたことや、作り手の努力の歴史であることに思いを馳せ、自分も「縁」の一部であると意識してみてください。すると作り手の技の重みと、自分もまた多くの命によって生かされていることに気がつき、日々の言動を振り返る一つのきっかけとなり、お料理が一層味わい深く感じられるのではないでしょうか。





