No.38 琴のたとえ(令和5年6月)

「正しい努力とは何か?」
「中道の教え?」

【努力について】
 「努力」という言葉の意味を漢字から解釈すると、「力をこめて努める」と解することができます。
 資格を取りたい、趣味のスポーツで良い成績を取りたい、お金を稼ぎたい、など様々な目標がある中、これらの目標を実現するとき「努力しよう!」という思いが起こると思います。しかし、努力することは大切ですが、どのように努力すべきか、つまり「正しい努力」とは何かについて考えたことはありますか。
 本日は「琴のたとえ」のお話を通して正しい努力について考えてみたいと思います。

【琴のたとえ】
 約二五〇〇年前のインドでのお話です。
 ソーナという一人のお坊さんが修行をしていました。ソーナはお釈迦(しゃか)様という仏教を開いた人物の弟子の一人で、日々、森の中ではげしい修行を重ねておりました。ある日、ソーナの心に迷いが生(しょう)じました。
 ソーナの迷いとは、「お坊さんの中でも、私ほど一生懸命に修行をする者はいないだろう。しかし、なぜか私は未(いま)だに悟(さと)りを得ていない。こんなことならば、家にかえった方がよいのではないだろうか。私の家には財産がある。あれだけ多くの財産があれば、幸福な生活をいとなむことができるだろう。この修行の道を捨てて、世俗(せぞく)の生活にかえった方が良いのではないだろうか」というものでした。
 お釈迦(しゃか)様はソーナの心の迷いを知り、彼のもとを訪れてその心境について尋ねると、ソーナはあるがままに自分の思うところをお釈迦様に打ち明けました。
 ソーナの思いを聞いたお釈迦様は、「ソーナよ、お坊さんになる前のあなたはたいへん琴(こと)が上手であったと聞いていますが、間違いありませんか」と尋ねられました。すると、ソーナは、「はい、いささか琴をひくことを心得ていました」と答えました。
続いてお釈迦様は、「それでは、ソーナよ、琴をひくには、あまり絃(げん)を強く張(は)っては良い音はでないでしょう。しかし、絃の張りが弱すぎても、やはり、良い音はでないでしょう。では、どうすれば良い音がでますか」と質問しました。これに対してソーナは、「あまりに強からず、あまりに弱からず、ちょうど良い調子(ちょうし)に整(ととの)えることが大事です。それでなくては良い音はでません」と答えました。
これを聞いたお釈迦様は、「ソーナよ、仏道の修行もまさにそれと同じです。苦し過ぎる修行は心がたかぶり静かになることはありません。また、緩(ゆる)やか過ぎる修行も怠(なま)け心に向かいます。ソーナよ、ここでも、あなたはその中をとらなければなりません」と言ってソーナをさとしました。
 ソーナはお釈迦様のこの教え(「琴のたとえ」)をじっと胸にいだいて、ふたたび修行にはげみました。そして、ついにソーナは悟りを開くことができました。

【中道】
 以上が「琴のたとえ」です。このお話は「弾琴(だんきん)のたとえ」や「箜篌(くご)のたとえ」とも称されます。
「琴のたとえ」では、琴の絃を張るときの強弱を例に、苦しい修行と緩やかな修行のどちらにも偏らない、ちょうど良い修行が正しい修行であると説かれています。そのため、「琴のたとえ」は「中道(ちゅうどう)」について説くお話としても知られています。
 中道とは苦楽のどちらにも偏(かたよ)らないことを指し、お釈迦様が初めて説法されたときに説かれた教えの一つで仏教の基本的な教えです。
「琴のたとえ」の場合は、苦しい修行が「苦」、緩やかな修行が「楽」と言い替(か)えることができます。これら苦楽のどちらにも偏らない修行こそ中道の教えにそった修行であり、正しい修行であると言うのです。
ではなぜ苦しみあるいは緩やかといった苦楽に偏らない修行が良いのでしょうか。
一般には緩やかな修行に比べて苦しい修行の方が効果的に思われます。しかし、「琴のたとえ」の中でお釈迦様が語られたように、苦しみに偏った修行は心がたかぶり静かになりません。つまり、心が落ち着かず、心が不安定な状態になってしまうのです。
 心が不安定になれば正しい考えが起こらず、不安な気持ちになります。はげしい修行を行っていたソーナがお坊さんをやめた方が良いと思ったのも不安な気持ちが原因であったのではないでしょうか。
 もし偏らない修行ができれば、程よい修行ができ、あきらめることなく修行を続けることができます。このように心の安定を保ちながら悟りを目指す修行が正しい修行であると言えるのではないでしょうか。

【正しい努力とは】
 はげし過ぎる修行では心が不安定になり修行が続かない。しかし、緩やかな修行では怠け心が起こり悟りという目標に達することができないとする考え方は、一般的な努力にも当てはまるのではないでしょうか。
 資格のための勉強、スポーツの練習、お金を稼ぐための仕事などは目標達成のために頑張りすぎれば、張り過ぎた絃のようにいつか切れて努力が嫌になってしまいます。しかし、緩やかに努力していてはいつまでたっても目標に到達することができません。そのため、一般的な目標であっても偏ることのない、程よい道(中道)を通って努力することが目標への一番の近道で正しい努力と言えるのではないでしょうか。
 ああしたい、こうしたい、と言った目標が皆様にもあるかもしれません。しかし、心の健康、体の健康がなければこれらの目標を達成することはできません。そのため、目標を目指すときはつらすぎる努力や緩すぎる努力に偏らない正しい努力を実践してゴールを目指してください。