~平家物語~
平家物語の冒頭に
祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)の鐘の声、諸行(しょぎょう)無常(むじょう)の響きあり。沙羅(さら)双樹(そうじゅ)の花の色、盛者(しょうじゃ)必衰(ひっすい)の理をあらはす。おごれる人も久(ひさ)しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂(つい)にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
と記されています。この文章は国語の教科書にものせられるほど有名ですが、祇園精舎について知る人は少ないのではないでしょうか。今回は祇園精舎についてお話ししたいと思います。
~祇園精舎の話~
お釈迦さまのいらっしゃった時代。コーサラ国にスダッタ長者と呼ばれる人がいました。
ある日、スダッタ長者が義兄(妻の兄)のもとへ訪ねたときのことです。
いつもなら手厚くもてなしてくれるはずの義兄が出迎えてもくれず、その邸(やしき)に泊まっても、ろくに顔も見せず、忙しそうに働き、自分でご馳走の仕度をしていました。明日は結婚式でもするのか、王さまでも招待するのだろうか、と考えているところに義兄が仕度をすませてスダッタ長者のところに来て挨拶をしました。
スダッタ長者は義兄にこのご馳走の仕度の理由をたずねたところ、お釈迦さまを招待するということを聞きます。するとスダッタ長者は
「私は今すぐ出かけて行ってお目にかかりたい。」
と言って外に飛び出そうとしました。しかし
「今はお目にかかる時間ではない。明朝(あきらあさ)にたずねなさい。」
と義兄に止められるのでした。その夜、スダッタ長者はお釈迦さまに会えるという興奮で、おちおち眠ることが出来ませんでした。
「もう夜は明けたか」
スダッタ長者は三度も夜中に飛び起き、夜明けを待ちかねて出かけました。
スダッタ長者はお釈迦さまのもとへ向かうために墓地を通りました。すると遠くの方からお釈迦さまが歩いてこられました。スダッタ長者が来ることに気付いたお釈迦さまはその場に座りました。スダッタ長者が近づくと
「よく来ました。スダッタ。」
スダッタ長者は自分の名を呼んでもらえたことに感動して礼拝しました。お釈迦さまは「布施」のお話をスダッタ長者にしました。スダッタ長者は布施の教えに感動して、自分も何かお釈迦さまに施したいと思うようになりました。
自宅に戻ったスダッタ長者はお寺を建てるのに適した場所はないだろうか、と考え十日間の旅に出かけました。するとコーサラ国のジェータ王子の持つ土地が見つかりました。
「あの土地を譲ってください。」
スダッタ長者はジェータ王子のもとを訪(おとず)れ、願い出ました。するとジェータ王子は
「あなたが欲しがっている土地いっぱいに黄金を敷き詰めたら差し上げましょう。」
と約束しました。さすがにそのようにいえばあきらめるだろうと考え、ジェータ王子はスダッタ長者に約束しましたが、スダッタ長者は馬車に黄金を積んで運ばせ、ジェータ王子の土地にしきつめはじめました。しかし、黄金は足りず入口のあたりを満たすにも足りませんでした。しかし、気を落とすことなく
「さあさあ、どんどん馬車で運んで来い。この土地いっぱいになるまで黄金を運んでくるのだ。」
と召使(めしつかい)に指示しました。
これを見たジェータ王子は驚き、スダッタ長者の固い信仰に感動し
「もういい。この土地(園)はあなたにまかせましょう。しかし、この入口の土地だけは私にゆずってくれないか。私からお寺をお釈迦さまに贈りたい。」
と言いました。その後、スダッタ長者とジェータ王子により土地とお寺が贈られ、ジェータ(漢字で書くと「祇(ぎ)多(だ)」)王子の名前をとって祇園精舎と呼ばれるようになりました。
~布施と諸行無常~
スダッタ長者がお釈迦さまの布施のお話を聞き、祇園精舎を贈りました。この布施とは、「人に施しを与えなさい(何か贈り物をしなさい。)」という教えです。
誰しもが欲を持っています。この欲がなければ食べたり、寝たりといった生活は送れません。つまり、欲は生きていくうえで大切な役割を担っているのです。しかし、欲が強ければ必要以上に物を蓄(たくわ)え、失うことに恐れるようになります。さらに自分の物であるという思いから気づかぬうちに自己中心的な心が強くなってしまいます。このような悪い欲を「煩悩(ぼんのう)」といいます。
平家物語の文章を簡単に説明すると「世界のすべては花の色や栄光が長く続かないように必ず滅ぶ。つまり夢や風にさらされ散っていく塵のように移りかわるものである。祇園精舎の鐘の音はそれを教えてくれる。」と「諸行(しょぎょう)無常(むじょう)」の教えを説いています。
物にこだわっても必ず移り変わります。「では、移り変わることで悩み不幸になるなら、苦しむ前に人に施しなさい。」というのがお釈迦さまの考えです。
人に施すことで相手が喜び感謝されるようになります。さらに自身の欲(煩悩)から離れることが出来るようになり、布施をした人も布施を受けた人もお互いに幸せになるのです。
しかし、いらない物を他人に施しても意味がありません。施すのはあげるには惜しいと思える物が良いとされます。そのため、何を布施すればよいかは個人の価値観によります。つまり、あげるには惜(お)しいと思えるものを他人に施すことが出来たとき、煩悩から一歩離れることが出来たということになるのです。
~施しは他人を変える~
人間は他人とコミュニケーションをとって活動する生き物です。そして、コミュニケーションの道具として使われるのが物です。祇園精舎のお話の中でスダッタ長者の行動に感動して、ジェータ王子が土地を譲(ゆず)ることにしたように、相手のことを思い、物を施す行為は人間の心を動かすことがあります。これはすべての人間に備わる原始的な感情です。
家族や職場の人と上手にコミュニケーションが取れないときがあるかもしれません。そのようなときはお釈迦さまの布施の教えを思い出してください。相手が施すには惜しいだろうと思えるものをもらったとき、あなたの強い気持ちを受け取り、コミュニケーションをとるきっかけとなるのではないでしょうか。
平家物語の冒頭に
祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)の鐘の声、諸行(しょぎょう)無常(むじょう)の響きあり。沙羅(さら)双樹(そうじゅ)の花の色、盛者(しょうじゃ)必衰(ひっすい)の理をあらはす。おごれる人も久(ひさ)しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂(つい)にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
と記されています。この文章は国語の教科書にものせられるほど有名ですが、祇園精舎について知る人は少ないのではないでしょうか。今回は祇園精舎についてお話ししたいと思います。
~祇園精舎の話~
お釈迦さまのいらっしゃった時代。コーサラ国にスダッタ長者と呼ばれる人がいました。
ある日、スダッタ長者が義兄(妻の兄)のもとへ訪ねたときのことです。
いつもなら手厚くもてなしてくれるはずの義兄が出迎えてもくれず、その邸(やしき)に泊まっても、ろくに顔も見せず、忙しそうに働き、自分でご馳走の仕度をしていました。明日は結婚式でもするのか、王さまでも招待するのだろうか、と考えているところに義兄が仕度をすませてスダッタ長者のところに来て挨拶をしました。
スダッタ長者は義兄にこのご馳走の仕度の理由をたずねたところ、お釈迦さまを招待するということを聞きます。するとスダッタ長者は
「私は今すぐ出かけて行ってお目にかかりたい。」
と言って外に飛び出そうとしました。しかし
「今はお目にかかる時間ではない。明朝(あきらあさ)にたずねなさい。」
と義兄に止められるのでした。その夜、スダッタ長者はお釈迦さまに会えるという興奮で、おちおち眠ることが出来ませんでした。
「もう夜は明けたか」
スダッタ長者は三度も夜中に飛び起き、夜明けを待ちかねて出かけました。
スダッタ長者はお釈迦さまのもとへ向かうために墓地を通りました。すると遠くの方からお釈迦さまが歩いてこられました。スダッタ長者が来ることに気付いたお釈迦さまはその場に座りました。スダッタ長者が近づくと
「よく来ました。スダッタ。」
スダッタ長者は自分の名を呼んでもらえたことに感動して礼拝しました。お釈迦さまは「布施」のお話をスダッタ長者にしました。スダッタ長者は布施の教えに感動して、自分も何かお釈迦さまに施したいと思うようになりました。
自宅に戻ったスダッタ長者はお寺を建てるのに適した場所はないだろうか、と考え十日間の旅に出かけました。するとコーサラ国のジェータ王子の持つ土地が見つかりました。
「あの土地を譲ってください。」
スダッタ長者はジェータ王子のもとを訪(おとず)れ、願い出ました。するとジェータ王子は
「あなたが欲しがっている土地いっぱいに黄金を敷き詰めたら差し上げましょう。」
と約束しました。さすがにそのようにいえばあきらめるだろうと考え、ジェータ王子はスダッタ長者に約束しましたが、スダッタ長者は馬車に黄金を積んで運ばせ、ジェータ王子の土地にしきつめはじめました。しかし、黄金は足りず入口のあたりを満たすにも足りませんでした。しかし、気を落とすことなく
「さあさあ、どんどん馬車で運んで来い。この土地いっぱいになるまで黄金を運んでくるのだ。」
と召使(めしつかい)に指示しました。
これを見たジェータ王子は驚き、スダッタ長者の固い信仰に感動し
「もういい。この土地(園)はあなたにまかせましょう。しかし、この入口の土地だけは私にゆずってくれないか。私からお寺をお釈迦さまに贈りたい。」
と言いました。その後、スダッタ長者とジェータ王子により土地とお寺が贈られ、ジェータ(漢字で書くと「祇(ぎ)多(だ)」)王子の名前をとって祇園精舎と呼ばれるようになりました。
~布施と諸行無常~
スダッタ長者がお釈迦さまの布施のお話を聞き、祇園精舎を贈りました。この布施とは、「人に施しを与えなさい(何か贈り物をしなさい。)」という教えです。
誰しもが欲を持っています。この欲がなければ食べたり、寝たりといった生活は送れません。つまり、欲は生きていくうえで大切な役割を担っているのです。しかし、欲が強ければ必要以上に物を蓄(たくわ)え、失うことに恐れるようになります。さらに自分の物であるという思いから気づかぬうちに自己中心的な心が強くなってしまいます。このような悪い欲を「煩悩(ぼんのう)」といいます。
平家物語の文章を簡単に説明すると「世界のすべては花の色や栄光が長く続かないように必ず滅ぶ。つまり夢や風にさらされ散っていく塵のように移りかわるものである。祇園精舎の鐘の音はそれを教えてくれる。」と「諸行(しょぎょう)無常(むじょう)」の教えを説いています。
物にこだわっても必ず移り変わります。「では、移り変わることで悩み不幸になるなら、苦しむ前に人に施しなさい。」というのがお釈迦さまの考えです。
人に施すことで相手が喜び感謝されるようになります。さらに自身の欲(煩悩)から離れることが出来るようになり、布施をした人も布施を受けた人もお互いに幸せになるのです。
しかし、いらない物を他人に施しても意味がありません。施すのはあげるには惜しいと思える物が良いとされます。そのため、何を布施すればよいかは個人の価値観によります。つまり、あげるには惜(お)しいと思えるものを他人に施すことが出来たとき、煩悩から一歩離れることが出来たということになるのです。
~施しは他人を変える~
人間は他人とコミュニケーションをとって活動する生き物です。そして、コミュニケーションの道具として使われるのが物です。祇園精舎のお話の中でスダッタ長者の行動に感動して、ジェータ王子が土地を譲(ゆず)ることにしたように、相手のことを思い、物を施す行為は人間の心を動かすことがあります。これはすべての人間に備わる原始的な感情です。
家族や職場の人と上手にコミュニケーションが取れないときがあるかもしれません。そのようなときはお釈迦さまの布施の教えを思い出してください。相手が施すには惜しいだろうと思えるものをもらったとき、あなたの強い気持ちを受け取り、コミュニケーションをとるきっかけとなるのではないでしょうか。





