~はじめに~
お盆、節分、正月のお参りなど日本には多くの行事や習慣が見られます。しかし、これらがどの宗教の行事のものかを決定するのは難しいことがあり、お盆もその一例と言えます。
お盆と言えばご先祖様の魂が帰ってくるので、お坊さんを自宅に招き仏壇の前でお経をお唱えたり、施餓鬼(せがき)と言ってお寺で塔婆(とうば)などを供養する行事を指します。このように見ると仏教の行事に見えますが、拝み方や祀り方は別として、お盆の行事自体は日本古来の先祖をお迎えし酒や食事などでもてなし、送るという神祭りの形を残しています。そのため、神道の行事と言えますが、仏教に伝わる伝説と行事が混ざり合い、仏教流に先祖を祀っているところから、日本で誕生した仏教行事と見ることもできるのです。
ではどちらの行事か?と聞かれるとどちらの行事でもあると答えるしかありません。このようにあいまいになってしまう背景には、仏教以前に日本にあった神道が柔軟な宗教で、中国から来た仏教を外国の神として迎え入れたことが考えられます。では仏教を受け入れた神道とはどのような宗教でしょうか。本日は神道について神社の施設を中心に学んでいきたいと思います。
~神社って何?~
神社と言えば神道において神を祀る建物全体を指すことばですが、もともと古来の人々は神社を立てることはありませんでした。神社のことは「ヤシロ(社)」、「ミヤ(宮)」と呼ばれ、ヤシロは臨時の小屋を指す。「屋代」、ミヤは屋代に敬意を表す「ミ(御)」を付けた「御屋」が語源と言われています。
そのため、古来の日本人は現在の神社が作られるまで、神はひとところに常住せず、祭りなどがあれば、他界から来訪すると考えていました。この時、常緑樹や大木、美しい山、大きな岩に宿ると考え、祭りになると臨時の祭壇を設けて神を迎えました。このように神が宿るところを依代(よりしろ)(またはご神体)と呼びます。神社のすぐ裏に山があることがありますが、これらの山は依代があるため、むやみに立ち入ることが禁止された聖域と考えられていました。そのため、聖域に入らずに拝める場所として神社が誕生しました。
仏教にも依代に近い考え方があり、位牌や仏像に魂入れを施します。魂入れは位牌や仏像を依代として先祖や仏を呼んで物に住んでもらう儀式で、昔の人は楠(くす)や桂(かつら)を神の宿る木と考え、これらの木で仏像を彫っていました。中国やインドで見られる仏教美術はほとんど石の彫刻ですが、日本では木がほとんどです。これも神道の影響によるものと言えるでしょう。
神社を設けてからは鏡、剣、勾玉など社殿に納まるものへと変化していきました。日本人は大切にしていた物などには、九十九(つくも)神という神が宿るという考えもありますので、光を反射する不思議な力を持った鏡や、立派な剣などにも神秘的な力が宿ると考えました。そのため、内宮(伊勢神宮)の天(あま)照(てらす)大神(おおみかみ)は太陽の神として鏡と共に祀(まつ)られています。
ちなみに妖怪と呼ばれるものもいますが、今まで大切にしてきた物が捨てられ、宿っていた神が寂しさのあまり落ちぶれた姿が妖怪と言われています。日本ではそのような神を元の世界に返すため、人形供養などの魂抜きをしてもとの物に返してあげるのです。
~神社の神と眷属~
社殿の屋根には千木という飾りが見られますが、これには女性を祀る内削ぎと男性を祀る外削ぎがあります。そして社殿には内宮の天照大神や外宮の豊受大神のような「神話的な神」、日光東照宮の徳川(とくがわ)家康(いえやす)や北野天満宮の菅原道真(すがわらのみちざね)のような歴史上に存在した「人物的な神」の二種類の神が見られます。
神話的な神を祀る理由は『古事記』『日本書紀』と言った書物に書かれた過去の神々への感謝や畏敬の念を示すためです。特に天皇の先祖という考え方もあるので、先祖を大切にするという考え方にもつながると言えます。
人物的な神を祀る理由は家康のように当時の人々に尊敬された対象であったことや、菅原道真のように恐怖の対象であったことが挙げられます。
菅原道真は政治の争いに巻き込まれ、大宰府で非業の死を遂げました。その後、怨霊となったと信じられ、その怨霊を鎮めるために祀り上げました。あえて恐怖の対象を祀ることで守ってもらおうと昔の人は考えたわけです。
お祭りでお神輿(みこし)を担いで「ワッショイ、ワッショイ」と盛り上がりますが、お神輿には神が乗っていると考えられ、祭りではこの神をお神輿で神社や依代にうつします。たくさんの人々が神が通るのを喜ぶとお神輿に乗っている神も嬉しくなって守ってくださるという考え方です。
神に喜んでもらうために今日ではお賽銭などのお供えもしますが、本来、お金ではなく紙に包んだお米を賽銭箱に入れる習慣があったそうです。昔の人々はお米がお金の代わりをしていたのでそれが時代とともに変化していったのでしょう。仏教の場合はお布施という考え方があり、物への執着(欲しがる心)をなくすための練習の場所としてお賽銭をします。神や仏のためだけではなく、自分の修行のために行うと考えるのが仏教の特徴と言えるでしょう。
神には眷属と呼ばれる特定の鳥や動物がいます。これらは神の使いとして時にはそこの神より愛されることもあります。例えば伏見稲荷と言えば二匹の白虎が鍵と稲をくわえている姿が有名ですが、伏見稲荷は宇迦之(うかの)御魂(みたま)大神(おおかみ)を中心とした神社で、白虎たちは伏見稲荷の眷属であって、メインの神様ではありません。ついつい動物が神だと勘違いしてしまいますが、神社に参拝するときは中心となる神は誰か知っておくとよいかもしれません。
~神仏習合と神仏分離~
仏教寺院を見ると神社の神を祀っているときがあります。しかし、逆に神社でも仏教の神(仏教とともにインドから来た神)を祀っていることもあります。
京都の八坂神社の場合は牛頭(ごず)天皇(てんのう)という神様です。どうやらこれは歴史の中で牛頭天皇と素戔嗚(すさのおの)尊(みこと)という日本の神が同体であるという考えが起こったからだと言われています。このように仏教と神道が混ざり合うことを神仏(しんぶつ)習合(しゅうごう)と呼びます。
ここまで見てきた神道が仏教と神仏習合できたのは神道と仏教が寛容で柔軟な考えを持った宗教であったからだと考えられます。先に日本にいた神道は外国から来た仏教の神を受け入れ、仏教は先に日本にいた神を尊敬し祀り、互いが良い面を学びながら成長した義兄弟の関係でした。
しかし、明治時代に神仏分離と言って、お寺と神社を無理やり分けるおふれが政府から下され、神道と仏教は分けられてしまいました。この影響により多くの神社と寺が無くなったそうです。内宮の中にもお寺がありましたが、その時の影響で現在は廃寺となっています。
私たちは目に見えている現状(仏教と神道は違うものだ)だけを見てそれが正しいと勘違いしてしまします。しかし、本当に正しいことは目に見えないところにあるのかもしれません。今回は神社と寺からその一端を見たにすぎないのです。
お盆、節分、正月のお参りなど日本には多くの行事や習慣が見られます。しかし、これらがどの宗教の行事のものかを決定するのは難しいことがあり、お盆もその一例と言えます。
お盆と言えばご先祖様の魂が帰ってくるので、お坊さんを自宅に招き仏壇の前でお経をお唱えたり、施餓鬼(せがき)と言ってお寺で塔婆(とうば)などを供養する行事を指します。このように見ると仏教の行事に見えますが、拝み方や祀り方は別として、お盆の行事自体は日本古来の先祖をお迎えし酒や食事などでもてなし、送るという神祭りの形を残しています。そのため、神道の行事と言えますが、仏教に伝わる伝説と行事が混ざり合い、仏教流に先祖を祀っているところから、日本で誕生した仏教行事と見ることもできるのです。
ではどちらの行事か?と聞かれるとどちらの行事でもあると答えるしかありません。このようにあいまいになってしまう背景には、仏教以前に日本にあった神道が柔軟な宗教で、中国から来た仏教を外国の神として迎え入れたことが考えられます。では仏教を受け入れた神道とはどのような宗教でしょうか。本日は神道について神社の施設を中心に学んでいきたいと思います。
~神社って何?~
神社と言えば神道において神を祀る建物全体を指すことばですが、もともと古来の人々は神社を立てることはありませんでした。神社のことは「ヤシロ(社)」、「ミヤ(宮)」と呼ばれ、ヤシロは臨時の小屋を指す。「屋代」、ミヤは屋代に敬意を表す「ミ(御)」を付けた「御屋」が語源と言われています。
そのため、古来の日本人は現在の神社が作られるまで、神はひとところに常住せず、祭りなどがあれば、他界から来訪すると考えていました。この時、常緑樹や大木、美しい山、大きな岩に宿ると考え、祭りになると臨時の祭壇を設けて神を迎えました。このように神が宿るところを依代(よりしろ)(またはご神体)と呼びます。神社のすぐ裏に山があることがありますが、これらの山は依代があるため、むやみに立ち入ることが禁止された聖域と考えられていました。そのため、聖域に入らずに拝める場所として神社が誕生しました。
仏教にも依代に近い考え方があり、位牌や仏像に魂入れを施します。魂入れは位牌や仏像を依代として先祖や仏を呼んで物に住んでもらう儀式で、昔の人は楠(くす)や桂(かつら)を神の宿る木と考え、これらの木で仏像を彫っていました。中国やインドで見られる仏教美術はほとんど石の彫刻ですが、日本では木がほとんどです。これも神道の影響によるものと言えるでしょう。
神社を設けてからは鏡、剣、勾玉など社殿に納まるものへと変化していきました。日本人は大切にしていた物などには、九十九(つくも)神という神が宿るという考えもありますので、光を反射する不思議な力を持った鏡や、立派な剣などにも神秘的な力が宿ると考えました。そのため、内宮(伊勢神宮)の天(あま)照(てらす)大神(おおみかみ)は太陽の神として鏡と共に祀(まつ)られています。
ちなみに妖怪と呼ばれるものもいますが、今まで大切にしてきた物が捨てられ、宿っていた神が寂しさのあまり落ちぶれた姿が妖怪と言われています。日本ではそのような神を元の世界に返すため、人形供養などの魂抜きをしてもとの物に返してあげるのです。
~神社の神と眷属~
社殿の屋根には千木という飾りが見られますが、これには女性を祀る内削ぎと男性を祀る外削ぎがあります。そして社殿には内宮の天照大神や外宮の豊受大神のような「神話的な神」、日光東照宮の徳川(とくがわ)家康(いえやす)や北野天満宮の菅原道真(すがわらのみちざね)のような歴史上に存在した「人物的な神」の二種類の神が見られます。
神話的な神を祀る理由は『古事記』『日本書紀』と言った書物に書かれた過去の神々への感謝や畏敬の念を示すためです。特に天皇の先祖という考え方もあるので、先祖を大切にするという考え方にもつながると言えます。
人物的な神を祀る理由は家康のように当時の人々に尊敬された対象であったことや、菅原道真のように恐怖の対象であったことが挙げられます。
菅原道真は政治の争いに巻き込まれ、大宰府で非業の死を遂げました。その後、怨霊となったと信じられ、その怨霊を鎮めるために祀り上げました。あえて恐怖の対象を祀ることで守ってもらおうと昔の人は考えたわけです。
お祭りでお神輿(みこし)を担いで「ワッショイ、ワッショイ」と盛り上がりますが、お神輿には神が乗っていると考えられ、祭りではこの神をお神輿で神社や依代にうつします。たくさんの人々が神が通るのを喜ぶとお神輿に乗っている神も嬉しくなって守ってくださるという考え方です。
神に喜んでもらうために今日ではお賽銭などのお供えもしますが、本来、お金ではなく紙に包んだお米を賽銭箱に入れる習慣があったそうです。昔の人々はお米がお金の代わりをしていたのでそれが時代とともに変化していったのでしょう。仏教の場合はお布施という考え方があり、物への執着(欲しがる心)をなくすための練習の場所としてお賽銭をします。神や仏のためだけではなく、自分の修行のために行うと考えるのが仏教の特徴と言えるでしょう。
神には眷属と呼ばれる特定の鳥や動物がいます。これらは神の使いとして時にはそこの神より愛されることもあります。例えば伏見稲荷と言えば二匹の白虎が鍵と稲をくわえている姿が有名ですが、伏見稲荷は宇迦之(うかの)御魂(みたま)大神(おおかみ)を中心とした神社で、白虎たちは伏見稲荷の眷属であって、メインの神様ではありません。ついつい動物が神だと勘違いしてしまいますが、神社に参拝するときは中心となる神は誰か知っておくとよいかもしれません。
~神仏習合と神仏分離~
仏教寺院を見ると神社の神を祀っているときがあります。しかし、逆に神社でも仏教の神(仏教とともにインドから来た神)を祀っていることもあります。
京都の八坂神社の場合は牛頭(ごず)天皇(てんのう)という神様です。どうやらこれは歴史の中で牛頭天皇と素戔嗚(すさのおの)尊(みこと)という日本の神が同体であるという考えが起こったからだと言われています。このように仏教と神道が混ざり合うことを神仏(しんぶつ)習合(しゅうごう)と呼びます。
ここまで見てきた神道が仏教と神仏習合できたのは神道と仏教が寛容で柔軟な考えを持った宗教であったからだと考えられます。先に日本にいた神道は外国から来た仏教の神を受け入れ、仏教は先に日本にいた神を尊敬し祀り、互いが良い面を学びながら成長した義兄弟の関係でした。
しかし、明治時代に神仏分離と言って、お寺と神社を無理やり分けるおふれが政府から下され、神道と仏教は分けられてしまいました。この影響により多くの神社と寺が無くなったそうです。内宮の中にもお寺がありましたが、その時の影響で現在は廃寺となっています。
私たちは目に見えている現状(仏教と神道は違うものだ)だけを見てそれが正しいと勘違いしてしまします。しかし、本当に正しいことは目に見えないところにあるのかもしれません。今回は神社と寺からその一端を見たにすぎないのです。





