No.43 栄西 (令和5年11月)

「お茶はなぜ健康に良いのか」
「お茶の効果を日本に広めた人物」

 

【はじめに】
 お茶は日本全国のコンビニやスーパーで手に入る美味しい飲み物として老若男女問わず好まれています。そして、緑茶、麦茶、ウーロン茶など豊富な種類が選べるうえ、安価で購入することもできます。
お茶のラベルを見ると、「脂肪燃焼」「ヘルシー」「血圧低下」など健康に関するうたい文句が多く見られ、「お茶は健康に良い」と一般に広まっています。しかし、「お茶は健康に良い」という考え方を日本中に広めた「栄西(えいさい)」について知る方はあまりいないのではないでしょうか。
本日はお茶の歴史を通して、栄西がどのようにしてお茶の効能を日本中に広めたのかについてお話したいと思います。
【お茶と仙人】
 『日本後(にほんこう)紀(き)』という平安時代の歴史書に、永(えい)忠(ちゅう)というお坊さんがお茶を煎(せん)じてたてまつったことが記されています。そのため、平安時代には唐(とう)の国(中国)から日本にお茶が伝えられていました。しかし、この頃に飲まれていたお茶は団茶というもので私たちが想像するお茶とは異なるものでした。
 団茶はお茶の粉末を固めたもので、これを粉末に戻して抹茶として飲まれていました。唐ではお茶は仙人になるための方法と考えられていたようで、盧仝(ろどう)という詩人は、「一碗すれば喉(のど)やくちを潤(うるお)し、二碗すれば孤独(こどく)のもだえをうち破る。三碗すればあらゆる書物が浮かんでくるようであり、四碗すれば軽く汗ばみ常日頃の不満が毛穴に向かって散っていく。五碗すれば肌も骨も清らかになり、六碗すれば仙人の霊性(れいせい)に通じ。七碗すれば、もう飲むことは出来ない。ただ、両脇からそよそよと清風が起こるだけだ。」と団茶を飲んだ時のことを表現しています。
 仙人になれるという考えや珍しい品であることから日本でも茶団が飲まれていました。しかし、日本と唐の交流が薄くなると、中国文化として日本に伝わったお茶の人気はなくなってしまいました。
 【お茶と栄西】
 『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』という鎌倉時代の歴史書によると、栄西は永治元年(一一四一年)に今の岡山県に生まれました。十四歳のときに比叡山で出家の儀式をうけ、修行や勉学にはげみ、やがて天台宗の正式なお坊さんとして認められました。栄西は宋(そう)(中国)へ二度渡り、二度目に宋へ渡ったときに臨済宗(りんざいしゅう)という仏教に出会い、熱心に学んだ栄西は臨済宗を伝える許可を受けることができました。
 臨済宗では、お坊さんたちが共に同じお茶を飲むことで出席者の一体感を深める「茶(さ)礼(れい)」という儀礼を行います。この時、使われていたお茶が「抹茶(まっちゃ)」でした。そのため、栄西は日本に帰国後、臨済宗の教えと共に抹茶を伝えました。
 『吾妻(あずま)鑑(かがみ)』という歴史書には次のような記事が見られます。
鎌倉幕府将軍の源実朝(みなもとのさねとも)は二日酔いで体調がすぐれず、お付きの者が手当てをしましたが、いっこうに治る気配がありません。それを聞いた栄西は良い薬があるとして取り寄せたお茶と一緒に一巻の書物を献上(けんじょう)しました。このお茶を飲んだ将軍はたちまち回復しました。
この記事に見られる書物は『喫茶(きっさ)養生記(ようじょうき)』であったといわれています。
 【『喫茶養生記』】
『喫茶(きっさ)養生記(ようじょうき)』とは、「養生(ようじょう)」、つまり「健康的な体づくり」について記された書物です。
『喫茶養生記』の上巻では、「お茶は養生の仙薬であり、人の寿命を延ばす術をそなえたものである」とお茶のすばらしさを記したうえで、宋で栄西が学んだお茶の効能について解説しています。そのため、『喫茶養生記』は、お茶に関する日本で最初の書物としても知られています。
『喫茶養生記』の上巻では、「肝(かん)は酸味(さんみ)」「肺(はい)は辛味(からみ)」「心(しん)は苦味(にがみ)」「脾(ひ)は甘味(あまみ)」「腎(じん)は鹹味(かんみ)(塩味)」と五臓(五つの臓)には好みがあり、ある一つの臓が好むものばかりを食べると、その臓ばかりが強くなり、隣の臓よりまさってしまうことで臓のバランスがくずれ、互いに病気を起こす。五臓の調子が悪く気分がすぐれないときは、お茶を飲むことで、お茶の苦味が五臓で最も重要な心の具合を調えるので病を除くことができる、と解説しています。
このように、『喫茶養生記』では、五臓のバランスを整えることが重要と考え、体調がすぐれないときはお茶を飲むことによって体調を調えることができると考えます。
『喫茶養生記』の内容を医学的に研究した「『喫茶養生記』に対する医学と仏教学に基づく解析」という論文では、「心臓におけるお茶の苦味成分の効用を見事にしかも正確に表現していると言える」と評価しており、『喫茶養生記』の内容は現代にも通じるところがあると言えるでしょう。
お茶を飲むことで健康になるという考えは、源実朝の二日酔いが治った記事や『喫茶養生記』などによって全国に広まりました。そして、栄西によってお茶文化が全国に広まったことで、後にお茶は茶道などの日本独自の文化へと発展しました。
 お茶のお話が中心であったことから『喫茶養生記』はお茶について記した書物と考えた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、『喫茶養生記』の下巻では、お茶の他に「桑(くわ)」や「ご真言(しんごん)(祈り)の功徳(くどく)」によって病を治す方法についても触れています。そのため、お茶は健康的な体づくりの方法の一つと栄西は考えていたと思われます。このように見ていくと、栄西にはお茶を広める目的もあったと思いますが、本当に広めたかったのは〝養生の大切さ〟だったと言えるのではないでしょうか。
【おわりに】
『喫茶養生記』では「昔の人は、あえて医療(いりょう)の方法に頼らないで病気を治したが、今の人は健康に対しての配慮(はいりょ)がいささか欠けているようである」と記しており、人々が医療に頼り過ぎているという認識が栄西にあったことがうかがえます。そのため、栄西は健康づくりの第一歩としてお茶を勧めたのではないでしょうか。
薬や医療の発達によって現代はより多くの病が治るようになりましたが、同時に「薬や手術によって病を治してもらえる」という考え方も見られます。しかし、薬や手術は治す手伝いをするものであって病を治すのは自分の身体です。そのため、健康的な身体がより早く病を治してくれるということは今も昔も変わりません。栄西が記した〝医療に頼り過ぎている〟ということは現代の課題ともなるのではないでしょうか。
本日はお茶を中心にお話をしましたが、栄西が『喫茶養生記』に記したように、五臓のバランスを整えること、つまり、様々な味のものをとることも忘れないでください。そして、健康的な身体作りを心掛け、健康で楽しい人生を送って頂ければ幸いです。