「供養は必要なのか?」
【供養って何?】
皆様は「供養(くよう)」という言葉を御存じでしょうか。
供養には先祖供養、年忌供養、ペット供養、永代供養など様々なものがあり、名称だけは知っているという方や、お坊さんが本堂やお墓などでお経(today)を読み上げる行事と理解している方もいらっしゃるのではないでしょうか。
確かにお坊さんがお経を読み上げるというのは間違いではありません。しかし、供養とはそもそもお経を読み上げることを指す言葉ではありません。では、なぜ供養でお経が読み上げられるのでしょうか。
本日は「供養」について解説し、なぜ供養でお経を読むのかについてお話したいと思います。そして、供養の必要性についても考えてみたいと思います。
【「供養(くよう)」と「回向(えこう)」】
そもそも「供養(くよう)」という言葉はインド語の「プージャー」の漢訳に当たります。
プージャーとは敬意をもってもてなすことを指します。特に神様、先祖や動物の霊、さらには尊敬すべき人などに対して供物を捧げること、または敬意を示すことを意味します。
このプージャーとはお供(そな)えをして相手を養(Yashina)うことになりますので、中国にこの言葉が伝わったときに「供養(くよう)」と記されるようになりました。
このように「供養」とは供物などで相手をもてなすことを指す言葉でした。しかし、仏教には「回向(えこう)」という考え方があり、供養の時にお経をお唱えするようになりました。
回向とは自分が行った善い行いの結果(功徳(くどく))を他者に回(めぐ)らせることを指します。本来、修行を積み本当の幸せとは何かに気づきさとりを開くことが仏教の理想とされていました。そのため、お坊さんたちは自分のために修行を積み自分自身のさとりを目指していました。しかし、自分自身の修行、自分自身のさとりであるならば、「自分」(me(が))への執着(しゅうちゃく)につながり、自分を中心に物事を考えるようになります。これを避けるために仏教では自分の修行の結果(善い行いの結果)が他者に向かうように願うことにしました。これが回向です。
回向によって他人のさとりや幸せを願うことも善い行いなので、結果としてその善い行いが自分にも戻ってくることになります。すると、自分と相手が良い報(むく)いを受け、ともに幸せになりお坊さんが目標にしているさとりを開くことができるのです。
このように、仏教では周囲の人々を思いやることで自分の幸せにもつながるものが理想的な修行であると考えるようになりました。
やがてこの回向は故人様にも向けられるようになると、故人様が後世(ごせ)に少しでも良いところへ行けるようにお坊さんに頼んで修行してもらうようになりました。
修行と言えば滝に打たれることや坐禅(ざぜん)を組むことを思い浮かべますが、お経を読んで暗記することもまた重要な修行でした。そのため、お坊さんがお経を読むという善い行いを故人様に回らすことで故人様の冥福にも繋がると考えられました。
本来、供養と回向は違ったものでした。しかし、仏様や故人様に対してお供えをして供養すると同時に読経による回向も行うようになりました。そのため、二つの意味合いが曖昧になり、現在では「供養」という言葉で「供養」と「回向」の二つを指すようになったと思われます。
【なぜ供養をするのか?】
では「供養」という言葉は間違ってつかわれているということでしょうか。
決してそういうわけではありません。供養はお供(そな)えをして相手を養(Yashina)うことと説明しましたが、お供えするものは「物」に限定されていないからです。
例えば、日本に伝わった「十地(じっち)sutra(today)」というお経を見ると、物の供養の他に、敬(うやま)い讃(たた)えることや仏法を修行するなどの「行い」もまた供養であることが説かれています。つまり、仏様の功徳のすばらしさを称え、仏様に修行をする姿を見せることが供養になるのです。そのため、供養としてお経を読み上げることも間違いではないと言えるのです。
このように見て行くと、仏様のために読み上げるお経は祝いの歌に近いかもしれません。そして、故人様のためのお経は冥福を祈る歌と言えるでしょう。
しかし、祝いや冥福のための供養であっても重要なのは、物をお供えすることやお経を読み上げることだけではなく、供養を開催したり、供養に参加するという、その方を思いやる気持ちではないでしょうか。
供養を習慣や通例として何気なく行われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、
今回お話したように供養には様々な一面があり、「故人様のために祈る時間」さらには、供養によって故人様と向き合うことで「残された人々の心を整理する」という重要な意味もあり、これらが供養を行う必要性と言えるでしょう。
かけがえのない方で、お別れが辛いからこそ法事に参列し、心を込めて見送って差し上げることが、故人様とご自身のために大切なのではないでしょうか。
これから、供養の場を取りまとめられたり、法事に参列される際には、本日お話ししたことを意識して頂けましたら幸いです。